アニュアルマッチ


木ノ葉商店街の南口から北口まで、歩いていって、引きかえし、また歩く。
ナスが美味いよ、サンマ安くしとくよ、お漬物味見していくかい、と声をかけてくれていた店屋のおっちゃんやおばちゃんたちも、三往復目にはいったらあきれた顔してただ眺めているだけだ。
でもオレはいまそれどころじゃない。
今日はカカシ先生の誕生日。
だけどオレってば先生に、いったい何をあげたらいいんだろう。

服屋のウィンドウにディスプレイされた秋色のシャツ、時計屋のショーケースに並んだ腕時計。
鞄、帽子、ジャケット、靴。
覗いてみる店先には、カッコイイものがいっぱいある。
先生にならどれもきっと似合うだろう。
ただどう考えてもそれを先生が身につけてくれるとはおもえないのがモンダイなんだ。

腕組みをして歩きながら、はああと溜息をつく。
そもそも先生にはブツヨクってものがない。
その気になればなんだって買えるくせに、殺風景なほど部屋のなかに物を置きたがらないし、服はいつも忍服で、アクセサリなんてもってのほかだ。
だからといって女の子じゃないんだから花束買ってくのもなんだし甘いものキライだっていってたからケーキも食べないだろうし。

誕生石の指輪を買ってとでもねだってくれたら楽なのに、と宝飾店でイチャイチャしているカップルを恨めしく眺めてまた溜息をつく。

ダメだ考えてても何もおもいつかない。
先生に直接欲しいもの聞くしかねえってばよ。

もういちど溜息をついてから三往復半目の途中だった商店街のまんなかで回れ右をして、南口を通り抜けてカカシ先生のうちへと向かった。


+++


「なーせんせー…あれ?」

カカシ先生の部屋にはいると、ちいさなパグ犬がぽつりとソファに座っていた。

「パックンだけ?先生は?」
「ワシらはいまちょっと取込中じゃ」

取込中、というわりに何をするわけでもなく悠然とソファに座ったパックンが、ぶっきらぼうに答える。

「ふうん…?ま、いいや、それよりパックンちょっと聞きたいことがあるんだけどさ、カカシ先生の好きなものとか欲しいものとかなんか知らない?」
「カカシの好物か?そりゃあれじゃろ、し…」

ことばの途中で、ふっとパックンが消える。

「あれ、パックン!?…おーい!」

呼びかけてみてもちいさな姿はどこにもいない。
口寄せか?
でも今日カカシ先生は任務じゃないはずだ。
そこだけは何度もチェックしたから確かなはずなんだけど。

もういちどぐるりと部屋を見回す。
いつもどおりの、片付きすぎてあまり生活感のない部屋だ。

「なにやってんだろ…っつか先生の好物、『シ』ってなんだ?」

パックンが言いかけた、『シ』のつくものをおもいうかべてみる。
シュークリーム、じゃないよな甘いものキライなんだし。
シ…シ…シマウマ?シロクマ?いやいやしりとりじゃねえし。

ううむと唸りながら冷蔵庫を開ける。
ちょっと牛乳でも貰って考えよう。

「よお、ナルトじぇねえか」

唐突に声をかけられて振り向くと、さっきまでパックンがいたところに頭頂部の毛を逆立てた犬が座っていた。
シバだ。

「牛乳飲むのか?俺にも一杯くれよ。今日はマジ暑っちいな…!」
「あ…お、おう、はい」

冷蔵庫から取り出した牛乳パックを開けて、グラスとちいさな平皿に注ぐ。
トンッとソファから飛び降りたシバが、牛乳のほかにはビールくらいしか入っていないガランとした冷蔵庫を横から覗き込んで、鼻に皺を寄せる。

「なんだケーキとか買ってこなかったのかよ。ったく気がきかねえな。今日がなんの日か知ってんだろ?」
「あ…いや、だって先生甘いの食わないだろ?」

シバにいきなり核心をつかれて、ちょっとたじろぐ。

「そんなことはねえよ。甘さ控えめのケーキだったらカカシもつきあいで一切れだけ仕方なさそうに食うぞ!」
「……それ先生ぜんぜん喜んでないんじゃね?」
「なに言ってんだ、こういうのはモノより気持ちが大事なんだよ!というわけで買ってこいよなケーキ。このあいだオープンしたパティスリー・リーヴズのベリーベリーってホールケーキは甘さ控えめだけどフルーツたっぷりで美味いらしいぞ…っと、そろそろ時間だ」
「時間?なんの?」
「恒例行事さ。シュン…」

すいっとシバが消える。
       
「また消えた……?」

トンガリ頭がいたあたりを見下ろして目をこする。
いない。
完全に口寄せだ、これ。
恒例行事っていってたな。
『シュン』っていったいなんなんだ?

とりあえずグラスに注いだままだった牛乳をゴクリ、ゴクリと飲み干して、手の甲で口端をぬぐう。                                    
シバのために皿に注いだ牛乳は残ったままだ。
どうしようかとしばらく悩んで、皿はそのままにグラスだけをキッチンで洗う。

「あら、ナルト」

すこし高めの声がしたほうを見やると、ソファのクッションの上にきっちりと額宛をした犬がいた。

「グニコかー。なに、おまえもシュンなんとかってやつやってるの?」
「グルコです。そして我々が参加しているのは『瞬速隠錬坊アニュアルマッチ』です」
「かくれんぼニョロニョロマッチ?グネコたち、かくれんぼしてんの?」
「瞬速隠錬坊アニュアルマッチです。ただのかくれんぼではありません。20秒間口寄せで隔離されているあいだに限定区域内に身を潜めた全員を、いかにはやく捜し出すかをきそう鍛錬としての競技です。その結果しだいで次の一年間の我々の序列が決まるのです。あと私の名前はグルコです」
「つまりスピード勝負のニョロニョロかくれんぼで、いまグゲコが鬼ってこと?それカカシ先生もやってるの?」
「ニョロニョロではありません。瞬速隠錬坊アニュアルマッチです。それから私の名前はグ…」

声が途切れたとおもったらもうクッションの上には誰の姿もなかった。
ずいぶんと忙しそうなかくれんぼだ。
しんとしてしまった部屋のなかで、手持ち無沙汰にポリポリと頭をかいてみる。
なんかよくわかんないけどもうしばらく時間かかりそうだな。
テレビでも見てるか。

テレビの電源を入れて、ソファに座る。
ワイドショー、相撲中継、ワイドショー、ワイドショー、よくわかんない通販…。
退屈な番組ばかりのチャンネルを次へ次へと変えていく。
古めかしい映画のなかで、男がちいさなビロードのケースに入ったリングを差し出しながらベタなプロポーズをしている。
オレだって先生が指輪のサイズ教えてくれたらソッコーで綱手のばあちゃんに給料三か月分前借りしにいってバラの花束買って夜景の見えるホテル予約してそれから…

「……というわけで俺たちが参加しているのは瞬速隠錬坊アニュアルマッチだ!」

すとん、と隣に一匹現れる。
またシバだ。

「それさっきもう聞いたってばよ」
「あっそ」

のそのそとキッチンへ歩いていったシバが、さっき出した牛乳をぺちゃぺちゃ音をたてて飲む。

「なーシバ、カカシ先生の左手薬指の指輪のサイズ知らね?」
「知らん。そんなの本人だってわからんのじゃねえか?あいつが指輪なんて印を組むのに邪魔になるようなもんするとはおもえんしな」

まあそれはそうだよなあ、と腕を組んで考え込む。

「じゃあさー、先生の欲しがってるもんとかなにか知らない?」
「あいつに物欲なんかねえよ。それより誕生日にはケーキだろ。葉隠洋菓子店のも悪くはねえが、やっぱここはパティスリー・リーヴズのベリーベリーケーキだって。雑誌載ってたの超美味そうだったぜ!」
「だってよー、せんせ甘いのキライなのに…」
「ちっ、わかってねえなあ、これだから若造は!いいか、こういうときはな…」

口の周りに白い牛乳髭をつけたまま捲くし立てていたシバが、すっと消える。
テレビでは幸せそうに手を握り合ったカップルが夕日を見つめる画像に重なって、壮大なエンドロールが流れている。

プツンとテレビを消して、ごろりとソファに横になる。
ふん、どうせオレはわかってねえよ。
カカシ先生のこと大好きなのに先生の好きなものも知らねえし。
でも先生じぶんのことは全然教えてくれねえんだもん。
っつかシバたちズルいってばよ、付き合い長いからってなんか余裕たっぷりだし、先生とかくれんぼなんかしちゃってさ…。

重い気持ちを抱えたままソファに転がっていじけていたら、もっと重たいものが降ってきた。

「ぐっ…うぇえ…っ、重…っっ!」
「おおナルトか、久しぶりじゃの」

腹の上にどんと乗っかった巨大な忍犬が、のんびりとオレの顔を覗き込む。

「ブル…苦しい…どいて…っ」
「まあ待て、20秒たったら退くでの」
「20秒…でオレ…ぺちゃんこになっちゃう…っ」
「ふはは、根性ないのう」

おかしそうに笑ったブルの腹が揺れ、振動で窒息しそうになる。
息も絶え絶えになりながらも、意地で根性を見せるために必死でブルの腹肉を押しかえす。

「な、ブル、せんせ…の、すっ…」
「んん?」
「せんせの、好きなも…シて…知って……?」
「ああ、カカシの好きなものはなにか知っているかということじゃな。ふむ、そうよのう…コドモのころからあやつが好きなのは、や…」

ふっと唐突に重みが消える。
ようやくマトモに息ができるようになって、ゼイゼイ言いながら酸素を取り込む。
ブルまた重くなったんじゃねえのか?
ていうか先生の好きなもの『ヤ』ってなんだ、『シ』じゃないの?

ソファに寝転がったまま、天井を見上げて呼吸を整えながら考える。
ヤのつくもの…そんでシのつくもの…っつかそれだけじゃ全然わかんないっての!

ぶつくさ呟いていたら、またもや腹部に衝撃があった。

「ぐうぇっ!」
「あれ、ナルト来てたの?」

オレの腹の上にまたがるように座り込んだカカシ先生が、目を細めるようにオレを見下ろす。

「さっきから居るってばよ!せんせーもかくれんぼやってたの?ここに居るってことは鬼になっちゃったってこと?」

なにげなく訊いただけなのに、先生がぷいとそっぽを向く。

「だってブルずるいんだもん。あいつが鬼になると絶対いつも俺をいちばんに見つけるんだヨ。ほかのやつらの場所気づいてても無視しちゃって…シバなんてさっき頭みえてたのにさ……」

ちょっと拗ねたような声で先生が不平をいう。
なんだそれ可愛い!
いや可愛いっていうか…

「先生それ反則っ!」
「え?」
「だいたいオレの上にまたがってそんな顔するなら、位置はもうちょい下!」
「は?」
「あともちろん服は脱い…でえええええぇっギブギブギブギブ!」

あーそろそろ時間かなーあ、などと呟きながらオレの腹の真上に立ち上がった先生が、鳩尾をぎゅぎゅっと正確に踏みしめる。

「ぐえええ…っあ、待って、せんせい行く前に一コだけ教えて!いまなにか欲しいものない?!」
「あるヨ」

あっさりと答えた先生がポケットから四つ折にした紙を取り出し、そのまま消える。
ひらりひらりと落ちてきた紙片を、信じられないような気持ちで両手でキャッチする。

あるよ、って言ったよな!
ブツヨクのない先生が!!
それってやっぱりなんか特別なものってことか?
まさか左手薬指のリングサイズじゃ…?!

震える手で紙片をひらく。
白い紙に書き付けられていたのは『トイレットペーパー、野菜、魚、米、シャンプー、ゴミ袋』って、これ単なる買出しリストじゃねえかよ!

ぐったり脱力したところへ、ダメ押しのようにまた衝撃が降ってきた。

「ごふっ」
「お、ナルト買物行く気になったのか?魚屋は新鮮なヤツから無くなっていくからはやく行ったほうがいいぞ。あとリストになくてもケーキは必須だからな!パティスリー・リーヴズは古本屋の向かいで、ベリーベリーケーキがオススメだ!」

オレが手にした買物リストを覗きながら、髪を逆立てた忍犬が力説する。

「なあ、ちょっといいたいことがあるんだけどさ」
「なんだ?なんでベリ−ベリーなのかってんならそりゃラズベリーとストロベリーが乗ってるからさ。たしかブルーベリーとクランベリーも付いてたな!ベリーベリー美味いってことさ、はっは!」
「いや、あのさあ……シバってかくれんぼ苦手すぎなんじゃね?」

本日すくなくとも三回目の鬼になったシバは、捲くし立てていた口をふいに噤む。
フッ、と溜息をついて、やれやれと言わんばかりに首を振る。
そしてなんだか遠い目をしながら、ニヒルな笑みを浮かべてこう答えた。

「っんとにわかってねえな、若造は……。俺ほどの存在感はな、隠しても隠しきれるもんじゃねえんだよ」


+++


買い出しから戻ってきたら、先生と忍犬たちがソファのまえのテーブルを囲んでなにやら話し込んでいた。

「なあ…買いものいってきたけど」
「ちょっと待ってろ、いま競技結果の集計中だ」

ビスケにぴしゃりと一喝されて、すごすごと引き下がる。
かくれんぼに集計なんか要るのかよ、などとは言いだせないような真剣さで話し合いが続けられていく。
仕方がないから米をといで炊飯器にセットし、買ってきたナスと豆腐をざかざかと切って鍋にぶち込み、味噌汁にする。
八百屋のオバちゃんに『シ』のつくものといって選んでもらったシシトウは茹でて鰹節をのせ醤油をかける。
それから魚屋のおっちゃんオススメのサンマに、教えてもらったとおり塩をふって網で焼く。

じゅわりと浮きだした油が、網目に落ちてコンロの火がおおきく揺れる。
サンマの皮がパリパリと焦げていく。
かくれんぼミーティングはまだ白熱している。
なんだかものすごく疎外感を感じて、いじけた気分でサンマの尻尾を菜箸でつついているうちにピーッとメシの炊ける音がする。

「なあ……ご飯できたけど」
「おう、並べていいぞ」

ウルシが机の上の集計結果表をくわえあげて、壁に貼りつける。
なんかオレ家政婦みたいだよなあと嘆息しながら、ウーヘイが器用にテーブルを拭きあげたところへ出来たばかりの食事を並べる。
さりげなく先生の前にシシトウの小皿と、『ヤ』のつくものとして選んだ焼き芋を置いてみるが、特に反応はない。
やっぱり違ったか。

がっかりしつつ、残りの皿を並べる。
魚に白米に味噌汁、漬物。
ちっとも誕生日らしくないメニューだ。
まあナイフとフォークで食べるようなフルコースの料理が、作れるわけでもねえんだけど。

「あのさ…ケーキも買ってきたってば…」
「よしパティスリー・リーヴズだな、でかしたぞナルト!」

ハイテンションで喜んでいるのは、やっぱりシバだけだ。
けっきょく先生の好物なんてわかんなかったってばよ。

「よかったな、カカシ。好きなものばかりじゃの」

ブルーになってるオレの向かい側で、ブルがのっそりと言う。

「え?先生の好きなものって?焼き芋?」
「それはオレの好物だ」

アキノが横から口を挟み、新聞紙に包まれた焼き芋を奪っていく。

「えーっと、じゃあ、シシトウ?」
「なにをいっておるんじゃ、塩焼きじゃろ」
「コドモのころからカカシは焼き魚が好きだったのう」
「特にサンマのな」
「なすの味噌汁も好きじゃの」

パックンとブルがのほほんと言葉を交わす。
え、それじゃこれでよかったの?
商店街で旬だから旨いよと勧められるまま買ってきただけなんだけど!
おおお、魚屋のおっちゃん、八百屋のおばちゃん、ありがとう!!
シシトウはいらなかったみたいだけど!!!

「なんじゃカカシ、今日はあんまり喋らんのう」
「照れておるんじゃろ」
「いい歳してかくれんぼしてるところをナルトに見られたからな」
「かくれんぼではありません。瞬速隠錬坊アニュアルマッチです」
「照れることはねえだろー、ナルトなんか相手によー」
「なあはやくケーキ食おうぜ!」
「毎年カカシの誕生日の恒例行事だからいまさらやめられないしね」
「そうそう、三十路のオッサンになってもかくれんぼに付き合ってくれて、俺たちは嬉しいぜ!」
「おまえたち、ちょっと煩いよ……」

カカシ先生がグラスふたつと小皿8枚に日本酒を注ぎつつ、ぼそっと呟く。
任務日でもないのに忍服を着た先生は、さっきから額宛を斜めにしている側の横顔しか見せてくれない。
それってもしかして、ほんとうに照れているっていうこと?

「ね、せんせ、サンマ好きなの?」
「ま、ね」
「ナスの味噌汁も?」
「嫌いじゃないよ」
「でも甘いもんは好きじゃないんだよな?ごめん、ケーキ買ってきちまったけど」
「これは食べるヨ」
「え?」
「だって、せっかくオマエが買ってきてくれたんだし……」

額宛と口布とあっちこっちに撥ねた癖毛のせいで全然表情の読めない先生の横顔の、かろうじて覗いた耳の先が赤い気がするのはオレの気のせいだろうか?
いったいどんな顔してそんなセリフを言っているのか見たくて堪らなくなって、おもわず手を伸ばしたところに、ヨッシそれじゃあ乾杯だあ、と能天気な大声があがる。

「乾杯の音頭は毎年最高いちばん成績が良かった忍犬の役目だけど、今年はナルトにやらせてやらねえか?メシの支度してくれたしケーキ買ってきてくれたし!」
「そういうのを最下位のやつが言うんじゃねえよ」

やかましく仕切ろうとするシバに、順位表の一番上に名前が書かれたアキノが釘をさす。

「まあでも栄誉ある役目を今回はナルトに譲ってやろう。焼き芋買ってきてくれたからな」

フンフンと焼き芋を包んだ新聞紙の匂いを嗅ぎながらアキノが鷹揚に言うのを合図のように、各々の忍犬たちが日本酒の注がれた小皿をくわえる。
渋々といったかんじでカカシ先生がグラスに手を伸ばすのを目にして、オレもじぶんのグラスをつかんで立ち上がる。

「えーっと、じゃあ…」

見おろすカカシ先生は、相変わらずそっぽを向いたままだったけれど。

「カカシ先生の誕生日を祝って、カンパイ!」

カチャンカチャンとあちらこちらで皿同士のぶつかる音がして、忍犬たちがクイクイと日本酒を飲み干していく。
あれ、アニュアルマッチに乾杯じゃないの、ともごもご呟いているカカシ先生の目の前に、ずいっとグラスを差し出す。
誕生日オメデトウってばよ、と告げれば、ようやくこちらを見返した先生が、アリガトとちいさく答えてグラスをカチンと合わせてくれる。
ちょっと困ったような右眼はすぐに伏せられて、無造作に指先で口布を引き下げながら照れ隠しのようにおおきくグラスを呷る。

見おろす先生の耳の先はもう間違えようもないほどに赤くて、オレはじわじわとこみあげてくる幸せをかみ締める。
もう一度せんせいオメデトウと囁いて、先生の赤い耳を見つめたまま、オレもグラスの酒をぐいっと一息に飲み干した。

fin.(20110915)


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