Away From The Sun
[epilogue]雨雲は、夜のうちにどこかへ去って行ったらしい。
おだやかに晴れわたった戸外ではチチチチと鳥がしきりにさえずり羽ばたいている。
書斎に入って扉を閉めると、古い本の独特の匂いが鼻孔をくすぐった。
紙と革の混ざり合う、乾いているのにどこか落ち着くかおりだ。
さほど広くもない部屋のなかほどで、車椅子のストッパーをかける。
ゆっくりと体重を左にかけていくと、キッ、キッと軋みながら車体が傾き始めていく。
傾きの角度がある一点を越えたとたん、急激にグンッと勢いをつけて車体が倒れる。
投げ出されないよう片手で車輪を掴み、もう片方の手をとんっと床に突いて、いったん己の体重と車体を受け止める。
それから徐々に力を抜いて、カチャン、とちいさな音だけ立てて、車椅子ごと横倒しになった。
床板の感触は硬く、ひんやりとしている。
ずるずると体を引きずって車椅子から抜け出し、傍らの壁に背をあずけて寄りかかる。
床に座りこんだ位置から見る書棚は、そびえ立つようだった。
下のほうの棚に並んでいるのは、大型の画集や図絵。
そこから順に視線をめぐらせていく。
壁一面に設えられた本棚にずらりと並んだ書籍類。
昨夜ナルトに取ってくれるよう頼んで断られたシリーズ本は、首が痛くなるほどに見上げた上方の棚にあった。
やれやれ、とちいさく息をつく。
あの物語の続きが読めるのは、しばらく先の話になりそうだ。
見上げる視線はそのままに、ズズズッと壁から滑り落ちる。
硬い板床に長々と寝そべってみると、より低くなった目線に書棚の威圧感は増し、目的の本はさらに遠くなる。
それでも、ここからがスタートだ。
動かせない両足の、踵に触れている床の感触を確認する。
それから掌で、同じように床に触れてみる。
滑らかな板床の表面。
細長い板と板とをつないでいくそのわずかな窪みを、指先ですうっと撫でる。
視線のすこし先に、正方形に切り取られたように日差しが落ちている。
片手を伸ばして触れれば、そこだけ床が温かかった。
四角い陽光のもとをたどっていくと、天井にとりつけられたちいさな天窓に行き着く。
こんなところにも、日の光は届く。
背を向けたつもりでいてさえ、太陽は世界を照らす。
世界の片隅で俯いたままうずくまっているものさえも、見逃してくれることなどなく。
四角い陽だまりのなかの指先が、じわじわとぬくもっていく。
ゆるやかな眠気がからだを包みはじめる。
床につけたままの片耳がとらえた遠くのかすかな物音を、子守唄のように聴く。
やがてバタバタという騒々しい足音とともに、ばんっと書斎の扉が開く。
「おっわ!せんせ何やってんの?!」
足音よりも騒々しい声に、あくび混じりで答える。
「ひなーたぼっこ」
「日向ぼっこ…こんなところで?」
目をまん丸にして見下ろしてくるナルトは、俺の白いシャツを着ていた。
袖丈はたいして変わりがないようだが、肩のところが窮屈そうだ。
首周りもキツいのか、襟元のボタンが三つも開いたままになっている。
「生意気」
「へ?なに?」
「なんでもないよ」
床に転がったまま、アカデミーを卒業して間もなかったころのナルトの身長をおもいだそうとしてみる。
細い手足、頼りない体つきで、軽々と投げ飛ばせるくらいしか体重もなくて。
それでもやっぱりあの頃から、こいつは眩しかった。
「なあ、どうせ日向ぼっこすんなら、外に散歩に行かねえ?すげえいい天気だよ、おひさまキラキラしてるってばよ!」
「……知ってるよ」
目を眇めて見上げながら答えたら、不思議そうに首をかしげたナルトが、ん、と片手を差し出す。
迷いもなく輝く瞳で、まっすぐに。
貼りついていた床から引き剥がしてゆるりと持ちあげた右腕を、ナルトのおおきな手ががっちりと掴まえる。
触れ合う肌から伝わってきたのは、天窓のかたちの陽だまりとおなじ、包み込むように温かなぬくもりだった。
fin. (20120322)
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