将棋 (カカシ先生とデートシリーズ#6)
カカシ先生のうちに行った。
デートだ。
たまには先生の行きたいところに行こう、と提案してみたら、どこも行かずに家でのんびりしたいという返事だったのだ。
しかも即答。
あいかわらず先生は出不精だ。
でもそんなのは想定の範囲内。
このくらいでカカシ先生とのラブラブデートメモリーをつくりたいっていう魂胆っていうか願望っていうか男のロマンは、あきらめられないよなフツウむしろがんばっちゃうよな?
なんたって(これだって)デートなんだから!
「というわけで、じゃ〜ん!」
「将棋?」
持参した袋の中身をキッチンのテーブルに出したら、先生が読んでいた本から目をあげて、意外そうな顔をする。
「ナルト、将棋なんてやったことあるの?」
「うん!修行に出てたころ、エロ仙人に教えてもらった!」
「へええ、自来也さまが…」
「この将棋セットもエロ仙人にもらったんだってばよ?」
ふたつに折り曲げられた将棋盤を、テーブルの上にひろげて置く。
「ああ、これ…そういえば俺もこれで自来也さまと将棋差したことあるよ、ずっと昔だけど…。そうか、自来也さまはこれをおまえにあげたんだネ…」
感慨深げに呟いて、カカシ先生が木箱に入った将棋の駒に手をのばす。
「あ!まだ触っちゃダメだってば!」
「なんで?だって駒を並べないと…」
「ほらほらセンセ、手どけて!いくってばよー、ホイッ!」
駒の入っている箱を、将棋盤の真んなかにガコンッとひっくり返す。
「……まさかおまえのいう『将棋』って」
「将棋くずしで勝負だってばよー」
伏せた木箱をそっと引きあげる。
箱のなかに納まっていた形のままで、将棋の駒が不安定な立方体を形作る。
「あー…、そうだよネー、おまえに将棋のルールが覚えられるわけないもんネー」
「シツレイだな!ちゃんと挟み将棋も教わったってばよ!」
「挟み将棋ネ…さすが自来也さまは偉大だ…弟子の能力をしっかり把握していらっしゃる」
なんとなくまたシツレイなことをいわれてるような気がするんだけど、まあいいや。
「負けたら勝ったほうのいうことを何でもきくっていうことで!」
「おまえ、そんな賭けしていいの?不器用なくせに。木の葉の業師に勝つつもりー?」
自分で業師って言っちゃうんだからな、まったくこのひとは…。
「んなこといって舐めてると痛い目にあうってばよ?じゃあまず、じゃんけん!」
じゃんけん、ホイ!
勢いよくパーを出したオレに、まるで当然のことのようにチョキで勝った先生が、ふふんと鼻で笑う。
「俺が先攻ってことは、このまま最後までおまえの順番は回ってこないってことよー?」
読みかけの本とコーヒーの入ったマグを押しのけて、ポキポキと先生が指を鳴らす。
どうやら本気でやってくれるようだ。
っていうか先生、結構こういう地味なゲームが好きなんだよな。
指先も器用だし、本来オレに勝ち目なんて、あるはずは、ない。
手始めにポツンとひとつ立っている歩に細く長い指先を乗せて、そのまま盤の端までスイーッと駒を滑らせていくカカシ先生を横目に見ながら、ぼそっと呟く。
「………この将棋盤ひさしぶりに開いたんだけどさ、なかにメモが入ってたんだよね。プロットっていうの?イチャパラシリーズの」
パタリ。
先生が、駒を倒した。
「え?うそ…っ?」
「はいセンセ、交替ね!」
「ちょ…っ!なにそれホント?どんなの??」
「オレのターンのときは話しませーん。集中しなきゃいけないからー」
先生があせってる。
作戦成功だ。
これなら勝てるってばよ!
心の中でほくそ笑みながら先生が倒した歩を回収し、安定のよさそうな飛車に指を伸ばす。
「あ!UFO!」
「えっ?」
パタリ。
「ハイ、交替ネ」
「なんて古典的な…!」
「これに引っかかるおまえが俺は本気で心配だよ…で、イチャパラのプロットって、それホントなの?作り話だったら承知しないからネ!」
先生が稀にみる真剣な目をしている。
任務のときですらこんな目つきしてるの見たことないってばよ!
「作り話じゃねえって。エロ仙人いっつも話思いつくと、そのへんの紙に書いてたんだよな。で、すぐその紙なくして大騒ぎすんの。毎回毎回、もう大迷惑だったってばよ…」
「プロットって、どんな?」
「えっと、たぶんイチャイチャバイオレンスとタクティクスのあいだの話だとおもう。麗子っていたじゃない?」
「綾小路麗子さん!深窓のお嬢様だよね。清楚な美人で、身分違いの純愛を成就させるんだ!」
「そーそー。その人がね、浮気するんだ」
パタリ。
先生が指をかけていた角が倒れる。
「うそ!だって麗子さんは祐一朗ひとすじで!」
「はいはい交替交替。木の葉の業師も世代交代の時期じゃないのー?角いっただき!んでオレはこの金を…」
「あ、巨乳のおねえさん」
「なにいってんのー、オレがそんなのに引っかかるわけないってばよー?」
「……が表紙の雑誌、本棚のいちばん下の段の忍術書のあいだに隠してるよネ」
「え!」
パタリ。
「な…き、気づいてたの?」
「このまえおまえの家で暇だったときに忍術書見せてもらってたら、出てきた。Fカップのぷりんぷりんとぷにょんぷにょんパラダイス!とかいうような見出しだったっけ。おまえああいうのが好みなんだねー」
「や、ちがうってばよ!あれはお色気の術新バージョン開発のための研究資料で!決してやましい気持ちでみてるわけじゃ…!」
「ハイハイ。そんなことより麗子さんが浮気って、どういうことよ!」
そんなことって、と内心ちょっと落ち込む。
いやべつに嫉妬してくれたのかもなんてそんな期待はしてないけどさ…。
「……麗子、祐一郎に内緒で、伊集院っていう金持ちと高級ホテルへ行くんだ」
歩の上辺に乗せた先生の指先が震える。
でも、倒さずに持ちこたえた。
さすが上忍だってばよ。
「それだけじゃ、浮気とはかぎらないじゃない!」
「それだけじゃ、な。二人でまず食事するんだよ、キャンドルのともったレストランで。麗子は最初ちょっと固くなってるんだけど、伊集院がすすめるワインのせいもあってだんだんと緊張がほぐれてくるんだ。食事が終わって最上階のスウィートルームに移動するころにはもうキャアキャアはしゃぎながら伊集院の肩にもたれかかっちゃったりして…」
カカシ先生が、信じられないという顔をしたままじっと聴いている。
震える指先は、将棋の駒にかかったままだ。
「部屋の隅にはレコードプレーヤーが置いてあるんだ。伊集院が音楽をかけて麗子にストリップしろって言うと、麗子はクスクス笑いながらスルリスルリと着ているものを脱いでいくんだ。伊集院の舐めるような視線のまえで、白く透き通るような柔肌がだんだんあらわになっていく。音楽に合わせて身体をくねらせて流し目したりとか、麗子もノリノリなの。そして最後のスリップに手を掛けたとき、麗子はそれまでの表情をすべて消して、ホロリと涙を一粒こぼすんだ」
パチリ。
「やっぱり!浮気なんて麗子さんの本心じゃなかったんだね!」
「ちょ、センセ、交替だってばよ!」
掴みかからんばかりの先生に、ちょっとビックリする。
ここまで乗ってくるとはさすがに思わなかったってばよ。
「んじゃオレはこっちの歩をイタダキなー」
「……ああ俺、ちょっと喉渇いてきちゃった」
押しのけていたコーヒーマグを引き寄せた先生が、すこし俯きかげんのまま口布に手をかける。
人差し指の先に引っ掛けられた口布の端が、ゆっくりと、焦れったいほどにゆっくりと引きおろされる。
すっきりと通った鼻筋がだんだんとあらわになり、鼻の先端をついと越えた口布が作り出す襞が、白い肌にモノトーンの陰影をえがく。
やがてその下方から現れる、ほんのりと赤みをおびて色づく唇。
口布の黒、肌の白、そして唇のほのかな赤みがつくりだす隠微な色彩をそのままに、ふいに先生が視線を上げる。
癖のある銀の髪のあいだから、上目遣いで見あげる瞳。
その色違いの両眼を縁取る長い睫毛が、スローモーションのように、まるで銀の蝶が羽ばたきするかのように、瞬く。
「…っ!」
ゴクッ、と生唾を飲み込んだとたんに、つい指先も揺れた。
パチリ。
「交替」
「な…っ、センセ、それワザと…?」
「なんのこと?ほらそれより、麗子さん浮気じゃないんだよねっ??」
マグカップのなかのコーヒーをゴクゴクッと男らしく飲んだ先生が、いいつのる。
くっそー!
「祐一朗、事業に失敗して借金作ったんだよ。んで伊集院が麗子に愛人になるなら借金帳消しにしてやるって迫って、麗子は祐一朗に内緒で愛人契約したんだ。でもやっぱり祐一朗を裏切るのが辛くて、逃げようとするんだけど伊集院は麗子の艶やかな髪を鷲掴みにして、アンタが逃げたら祐一朗はどうなる、ってにやりと笑い、無理やりベッドに押し倒して…以下イチャパラ」
パッチン。
「ちょっと!なにそれ!いちばんいいトコじゃない!」
「ホントにそう書いてあったんだって!プロットだからそんな全部詳しくは書き込んでないんだってばよ。っつか、もし書いてあったとしたら、俺にそういうシーンも言わせるつもりだったの…?」
「おまえだって昔、俺にイチャパラ朗読させたことあったじゃない!」
「そういえば、そんなこともあったってばよ…」
朗読して先生がそういう気になってくれるんならいくらでも読むけど、と呟いた言葉はきれいに無視されたので、まだあまり駒の減らない盤面に向き合いなおして、深く息を吸う。
ゆっくりと呼気を吐き出して、心を落ち着ける。
側面を下にして立つ飛車に狙いを定める。
そして、そっと指を伸ばす。
「ねえ、ナルト…」
なんだよ、惑わされないぞ。
「……はやく、つ、づ、き」
パチリ。
「だーっ!そんな声でそんなセリフ言うなー!」
「んじゃ普通に言うヨ。続きはー?」
くそう、もう平常心どころじゃない。
いやでもまだ勝負は五分五分だ!
「ホテルを出た麗子はフラフラと街を歩いていくんだ。髪はボサボサでマスカラは落ちて、でもやっぱり麗子は美しくって。川べりまで来たとき、麗子はハンドバッグの中の札束を投げ捨てようとするんだけど、寸でのところで思いとどまって、札束かかえたまましゃがみこんで泣くのな」
カカシ先生が瞬きもしないで聴いている。
「麗子は祐一朗の家のポストに札束と『さよなら』とだけ書いたメモを入れて、そのまま行方をくらます。ハンドバックだけで他に荷物も持たないまま、あてもなくただひたすら彷徨って、やがて海へ出るんだ。意図して来たわけじゃなかったけれど、そこ祐一郎との思い出の海辺だった」
「あ!それもしかしてシダミ湾!?『イチャバイ』で祐一朗と人目を忍んでデートに行った海だ!『4月の時期はずれの海辺には他に人影もなく、打ち寄せる波が麗子の細い足首を撫で、そのはかなげな美しさに祐一朗はおもわず跪き、濡れた麗子の足の親指を口に含み…』ってシーンがあったヨ!」
「やっぱり一字一句覚えてるんだ、センセ…」
「当たり前デショ!それより、続き!」
全部覚えてるなら、なんでいっつも同じ本ばっかり読みふけってるんだろう。
毎度おもう疑問をとりあえず頭の隅に追いやって、プロットに書かれていた文章を思い出す。
「海岸の先は切り立った崖になっていて、ふらふらとそこまで上った麗子は崖のふちで立ち止まり、祐一朗との思い出をひとつひとつたどっていく。やがて淋しい笑みを浮かべた麗子が崖下に飛び降りようとしたとき、待って!と声がかかる」
「祐一朗だねっ?!」
「そー。『とめないでください私は穢れた女』『なにをいうんだ君こそが俺の生きる糧、君が死ぬなら俺も死ぬ』『駄目ですあなたはこの世の中になくてはならぬ大事な方』『そうおもうなら俺のために生きてくれ麗子、やりなおそう!俺たちの愛ならどんな苦難も乗り越えられる』『ああ祐一朗さん!』『麗子!』」
呆れるほどにメロドラマな展開を、呆れるほどに真剣な顔で先生が聞いている。
「そのままふたりは寂びれた漁師小屋に泊まる。流木を集めて焚き火をおこし、寄り添うふたりは静かに唇を寄せ合う。壊れかけた小屋の天井からは星空が見える。祐一朗が麗子のブラウスのボタンをはずす。麗子のふくよかな胸の谷間が焚火の炎に照らされる。『ああ駄目、祐一朗さんこんなところじゃ…』『誰も来ないよ』『でも天井に穴が』『じゃあ夜空が嫉妬するほどに愛し合おう』『祐一朗さん…あああっ』以下イチャパラ、カッコ濃厚気味カッコとじる、そして完!」
バチッ!
不満全開の顔をした先生の指先の駒が倒れる。
というか、むしろ八つ当たりで駒を倒したかのようだ。
将棋盤にたたきつけられた可哀想な香車が、赤い崩し文字を上にして申し訳なさげに横たわる。
「またそれ?!自来也さまってなんでいいとこだけ抜かすのヨっ!(濃厚気味)ってその詳細はどうして書いてくれないの?!」
「んなことオレに言われても…1冊に2イチャシーンならまあ売れるかの」
「え?」
「っていうのも隅っこに書いてあったってばよ?」
「……作者の本音って、聞くんじゃなかったっておもうときがあるよね…ときどきね…」
先生がちょっと遠い目をしている。
オレは将棋板を見下ろして、溜息をつく。
盤上の駒は、まだ半数以上も残っている。
「あーあ。いい作戦だとおもったのになー」
「ねえ、そのプロットの紙、見せて?」
「ん、どうぞー」
もともと先生にあげるつもりで持ってきた紙を懐から出して、机越しにわたす。
表裏両面にびっしり書き込まれた紙は、年月のせいで四つ折にされた折り目が傷んで、いまにも破れそうだった。
大事そうにそっと紙を開いた先生が、丹念に筆跡を追っていく。
「ちえーっ、これならイケルとおもったのに…んで先生に勝っちゃったらオレってばあーんなことしてそーんなことしてさあ…」
ぶつくさ呟いていたら、プロットを読み終えたらしい先生がふいにオレを見つめる。
その瞳が、すこし潤んでいることに気づいて、動揺する。
「せ、せんせ…?」
「ナルト…もし俺が浮気して姿を消したとしたら…それでもおまえは、オレを信じて探しに来てくれる?」
水気を含んで底なし沼のように深く美しい先生の青灰色の瞳に、言葉を失う。
「それともおまえは、オレのことなんてすぐに忘れて…」
「んなわけねえだろ…っ!どんなことがあったって、オレは先生から離れたりしねえってばよ!」
机越しにぐいっと先生の肩をつかむ。
ガタッと机が揺れて、パタパタと駒が散らばる音がする。
オレの握力に先生がちょっと痛そうに眉を寄せるのを、かまわず引き寄せる。
柔らかな銀の髪が頬をくすぐる。
「オレはなにがあったって先生のことを諦めたりしないよ!だってオレは先生のことが…っ」
「ナルト…」
先生の肩を握ったオレの手に、すこし冷たい指先がふわりと重なった。
そして…。
「はい終了」
「うででででええっギブギブギブギブ…!」
肩をつかんだ手を易々とひねりあげたカカシ先生が、あっさりと告げる。
いつのまにか口布は引きあげられているし、潤んでいたはずの瞳はいつもの眠たげな猫目に戻っている。
「俺の勝ち」
「なにが…ああーっ!」
先生が指差す先で、将棋の駒で作られていた立方体が見事なまでに崩れはてている。
「負けたほうは、なんでも言うこときくんだっけ?」
「ずるいってばよ先生!」
「忍は裏の裏を読め。風呂掃除と窓拭きおねがいネ」
「えー!」
「あとあんまりベタベタくっつくな。俺の半径1m以内は進入禁止」
「ええー!」
「それから…」
まだあるのかよ、とゲンナリするオレからふいに視線をはずした先生が、ちょっと言いよどむ。
「……これ、もらってもいい?」
机の上に置かれた四つ折の紙に、先生の細い指が触れる。
「あ、べつにこれは強制じゃなくて、もしもおまえが構わなかったらってことなんだけど、その…」
もぞもぞと歯切れ悪く先生が呟く。
オレが先生にあげるために持ってきた、エロ仙人のプロットの紙の縁を、遠慮がちになぞりながら。
「……しょうがねえな、じゃああげるってばよ。大切にしてくれよな!」
笑い出しそうになるのをこらえて答えたら、先生が俯いたままちいさな声で、ありがと、と言った。
そのほんのりと赤く染まった耳の先を見おろしながら、ああこの人を超えるにはオレはまだまだ修行がたらないんだよなと、しみじみ実感した。
fin. (20091212)
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