水族館 (カカシ先生とデートシリーズ#8)


商店街の福引で、水族館のペア入場券をもらった。

「デートでも行ってくるかい、この色男!」

ガランガランと当選の鐘をひとしきり鳴らした法被姿のおっちゃんは、祝三等と書かれた封筒にはいった入場券を差し出しながらガッハガッハと笑ってそう言ったけれど、オレは正直がっかりだ。
だって水族館って魚ばっかりいるところじゃないか。
そんなところデートで行って何がおもしろいんだよ。
ほら見て、あのサンマはすごく活きがよさそうだよ、とか語り合えばいいの?
そんなのちっとも男のロマンじゃねえってばよ。
オレはむしろ五等の新発売カップラーメン情熱ニンニク味噌ステーキ味24個入りを狙ってたのに!

不貞腐れながら家に帰って机の上に放り出したまま忘れていたその入場券のことを、思い出させたのはふらりとやってきたカカシ先生だった。

「なにこれ、水族館?」
「ああ、当たっちまったんだってばよ、福引で」
「ふうん…行く?」
「え、先生行きたいの?」
「おまえが他の誰かと行く予定なら、遠慮するよ」

手にとって眺めていた入場券を机の上に戻そうとするカカシ先生に、あわてて駆け寄る。

「そ、じゃなくてさ!だって水族館って魚ばっかりいるんだぜ!」
「ナルト魚キライ?」
「キライじゃないけど肉のが旨いじゃん!」
「……水族館って魚食べるところ?」
「や、違うけど!」

火之国水族園と書かれた二枚の入場券。
そこに印刷されている色とりどりの魚の写真を、先生がじいっと見つめる。

「……昔、まだ中忍だったころに任務で行ったお屋敷に、すごく大きい水槽があったんだよね。見たこともないような魚が何匹もいて。でも任務だったからゆっくり魚を眺めてる暇なんてなくってさ、なんかそれがずっと残念だったんだ…。だから、もし水族館でああいう魚が見られるんだったら、行ってみたいかなー、って」

ぽつぽつと先生が呟く言葉に、胸がきゅっとなった。
先生が中忍って、六歳とか七歳とかじゃないの?
ちっちゃな先生が色とりどりの熱帯魚が泳ぐ水槽をうらやましそうに横目に見ながら、じっとこらえて任務に就くところを想像して、さらに胸がきゅうきゅう締め付けられる。
そうだよ、オレってば先生が子どものころに出来なかった楽しいことを、ふたりで一緒にたっぷり味わうのが使命だったんだってばよ!

「よし!先生行こう!いますぐ行こう水族館!」
「いまはもう閉館してる時間デショ」
「あ、そっか、じゃあ次の休みな!絶対な!」

先生の右手をつかんで、振り回すようにして約束を取り付る。
それから放り出したままになっていた封筒をつまみあげ、だいじなだいじな入場券をそっと仕舞った。

***

次の休みはたまたま日曜日で、水族館までの道のりはけっこう混雑していた。
親子連れの波に押されるようにしながら入場券を出して先生とふたりで入り口のゲートを通り抜けると、すぐ正面に巨大な水槽があった。
青く澄んだ水の中を、ゆっくりと横切る大きな影。
イルカだ!
歓声をあげた子どもたちが走り出すのと一緒になって水槽に駆け寄り、子どもと同じようにガラス面にべったり貼りついて眺める。
なぜか腹を上にして泳いでいるイルカは、灰白色で瞳は真っ黒だ。
ガラスに貼りつく人間を観察するかのように、悠々と水中を滑っていく。

「イルカは海中に生息する哺乳類です…」

天井のスピーカーから、声が聞こえてくる。
どうやらイルカの解説らしい。

「たいへん人懐っこくて人気があり…」

人気か、そうだなぁ。
コドモにはいっつもモテモテだよな。
あと爺ちゃん婆ちゃんな!

「頭もよく…」

んー、ときどきすっげえポカするけどな。

「歌が好きで…」

あー、好き好き。
採点しながら鼻歌とかよく歌ってるもん。
流行りものには疎いけどな。
オッサンはいってるからなー、カラオケで演歌ばっか歌うしよー。

「好物は魚のほかにタコ、イカ、カニなど…」

うんうん、忘年会のとき、カニの爪の先の先までほじり尽して食べてたってばよ!

いちいち突っ込みをいれながら解説を聞く。
いちばん大きなイルカが水面からまっすぐに潜ってきて、オレの目の前でするりと方向転換して泳ぎ去っていく。

「なお、当水族園では本日巳の刻より中央プールにてイルカのショーを行います。みなさまぜひご観覧を…」
「おおっ!イルカショーだって!行こうよカカシ先生!……先生…あれ?」

気づけばカカシ先生の姿がなかった。
待ちきれなくて先に熱帯魚のいるとこに行っちゃったのかな。
そんなに楽しみだっただなんて、先生ってやっぱ可愛いってばよ!

パッタパッタとスキップですぐ隣の熱帯の魚コーナーにはいる。
赤や青や黄色や縞々のカラフルでかわいらしい魚が泳ぎまわる水槽の前に、しかしカカシ先生の姿はなかった。

「あっれ?」

近海の魚、イワシのトルネード。
遠海の魚、マンボウ。
でっかいカメとちみっこいカメの群れ。
氷のプールですいすい泳ぎ回るペンギン。

館内のめぼしいところをぐるりと見て回っていくのに、どこにも先生はいない。
おかしいな。
もしかしてもうイルカショーの会場まで行っちゃったのか?

いくつもならんだ展示室のあいだを、中央プールに向かってドタドタと走りぬけようとした視界の端に、ちらりと銀色が光った。
薄暗く照明を落とした部屋の片隅。

「あ!カカシ先生!こんなとこにいたの?ねえもうすぐショーが…なにこれ?」

先生が眺めている水槽のなかには、ゴツゴツした灰色の岩しかはいっていなかった。

「なにもいないじゃん」
「いるでしょ、よく見て」

ガラスに鼻先をくっつけて覗き込んだら、いちばん手前の岩がもぞりと動いた。

「うお!」
「それ、オニダルマオコゼ。見事な擬態だよね、岩そっくり。しかも猛毒を持ってるから、うっかり踏むと命にかかわるんだって」
「げー…」

その隣の水槽に居るのは、トゲトゲした巨大なウニと、ゆらゆらと揺れる黒っぽい海草、かとおもいきや。

「わ!これ藻じゃなくて魚だ!さかだちしてる!変なの!」
「ヘコアユだよ。敵が来るとこのウニの棘の間に隠れるの。そのためにウニの傍で縦泳ぎして生活してるんだ。これも合理的な擬態のひとつだネ」
「はあ…って先生、ずっとここにいたの?熱帯魚は?」
「熱帯魚?」
「昔、任務先の水槽にいたんだろ?」
「ん?あのとき見たのも、こういう魚だったよ?」

暗い色でヘンテコな形の魚ばかりの水槽のあいだで、先生が嬉しそうに言う。
色とりどりの熱帯魚と幼い先生、という幻想的イメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく。

「それでね、こっちのほうもおもしろいんだよー」

先生はさらに照明を落とした一角へと進んでいく。
チューブがついた樽のようなものをかぶった人形が、ぬぼーっと立っている。

「なんだこれ?」
「昔の潜水服だって。それ着て海底深くへ潜って調査したんだヨ」

先生が奥まったところに設置された水槽の前で足を止める。
そのなかにいたのは、生きた魚ではなく骨の標本だった。
本来の魚の外観が、骨の背後のアクリル板に描いてある。
ひょろりと細長い、地味な魚だ。

「これはね、ホウライエソっていう魚なんだけど、すごいんだヨ、見て」

先生が手元の赤いボタンを押すと、骨格標本が動き出した。
前方から、ホウライエソより一回りほどちいさい魚の模型が進んでくる。
正面まで来たところで、ホウライエソがターゲットをロックする。
その瞬間、地味な魚が化け物に変わった。
ホウライエソの口がまるで傘を開くようにバックリと開き、その牙の並んだ巨大な口内に、2/3ほどもある魚が丸ごと飲み込まれていく。

「なにこれ!怖!」
「深海は生き物が少ないからね、エサに出会ったら逃さず丸呑みにするために、顎の構造が特化してるんだって。そのかわりエサと出会えないときは、何十日も胃袋を空にしてることもあるんだヨ」

この骨格構造まさに機能美だねえ、などと感心しながら、先生が隣の水槽へ移動する。

「これはチョウチンアンコウ。アタマの先についた疑似餌をチラチラ光らせて、エサをおびき寄せるの。深海は光が乏しいから、こんなちいさなチョウチンアンコウの光にも、生きものは引寄せられていくんだね」

光、といわれても、すでにホルマリン漬けになったチョウチンアンコウは頭の先にひょろりと疑似餌を伸ばした格好のまま、白っぽく変色した奇妙な姿を晒して、光ることも泳ぐこともなくただ静かに展示ケースの中に留まっている。

もはや標本やホログラムばかりの展示になった深海魚のコーナーを、先生はひとつひとつ丹念にめぐっていく。
ほかに見る人のいない深海魚の展示室は、耳が痛くなるほどにしんとしている。
ときおりコツ、コツと自分たちのたてる靴音だけがひびく。

「深海魚は雌雄同体が多いんだよ。深海はエサだけじゃなくて自分の仲間に出会うチャンスもめったにないから、出会ったのがメスであってもオスであっても確実に子孫が残せるように、性別さえも変化させるんだ。光の届かない、エサも少ない、仲間さえもほとんど居ない海の底で、それでも生きのびていくために陸上では想像もつかないような進化をしてるんだ……なんだか、格好いいよネ」

どこか羨ましそうに、先生が呟く。
ねえ先生、と声をかけようとしたら、バタバタと足音がした。
振り向いた先に、数組の家族連れ。

「きゃー、なにココ怖い!」
「バケモノみたいな魚ばっか!」
「気持ち悪―い!」
「ほら、こんなの見なくていいから急いで!もうすぐショーが始まるよ!」

子どもたちの手を引いた一団が、慌ただしげに展示室のなかを駆け抜けていく。

「あ!」
「ん?なあにナルト?」
「あー……いや、なんでもねえってばよ」

そう?とカカシ先生が首をかしげて水槽に向き直る。
ホルマリン漬けになった深海の生き物を、慈しむかのようにじっくりと先生が見て回る。
ショーより、この先生の姿を見ていたい。

薄暗い展示室のわずかな照明に、先生の銀の髪がチラチラと光る。
海底の魚たちが見る光は、もしかしたらこんな色なんだろうか。
その輝きに引寄せられて、手を伸ばしてみたくなる。
そしてできることなら先生を、頭から丸ごと飲み込んでしまいたい。

「あー、オレも深海魚かもしれねえ」

おもわず呟いた言葉にカカシ先生が振り返り、なに言ってんの、と眼を細めて笑う。
そのやさしすぎる表情に、ああオレはカカシ先生を越えるにはまだまだ修行が足りないんだなあと、実感してちょっと溜息をついた。

fin. (20100526)


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