Feels Like Paradise


生い茂る木の葉に弾かれた雨滴が、パタパタと落ちてくる。
暗い森のなかの大枝に座り込んで外套に包まり、目深にかぶったフードの先を水滴が流れ落ちていくのを、ぼんやりと眺める。
夜が明けるまでにはまだ二刻以上、それまでに雨は止むだろうか。
密集した木の葉を透かして見上げる空は、濃灰色の厚い雲に覆われている。

ざわりと吹いた風のせいで木々の葉が揺らぎ、大粒の滴がボツボツと降りそそぐ。

腕を伸ばしてフードの先を引き下ろし、膝を抱えたまま目を伏せる。
防水加工された外套から水が染みてくることはないが、肌になじむことのないごわついた生地は、触れる箇所から体表の温度を奪う。
模様すらもない実用本位の固い布地の表面に、途切れることのない雨滴が縞模様を描くかのように幾筋も流れ落ちていく。
なぜだか浮かんだ既視感に、漠然とした記憶をたどって、やがておもい至る。
ああ、あれか。

外套の内側で伸ばした左手で、右肩を抱く。
冷えた肩先に、じわりと掌の熱が伝わっていく。

***

「せんせー、寝る?」

そろそろ風呂にでも入ろうかと浴槽に湯を張りはじめたところに、窓辺への闖入者があった。

「ちょっと、どこから入ってくるのヨ」
「あ、これから風呂なんだ、オレ超グッドタイミング!ね、せんせオレと…」
「断る」
「まだなにも言ってないってばよ!」
「俺は明日早朝から任務なの。おまえに付き合ってる暇はない」
「や、オレも実をいうとこれから任務なんだけどさあ!」

能天気に笑う元教え子を、まじまじと見る。
顔や髪は埃っぽいし、忍服も薄汚れている。

「おまえ、いま帰ってきたところじゃないの?」
「そ−なんだけどさー、すっげえ楽勝な任務だったからさー、つまんねえぐらいだったって言ったらじゃあもう一件行ってこいって綱手のばあちゃんに次の任務押し付けられちまってさー」

ぶうと口をとがらすナルトを観察する。
汚れてはいるが怪我をしている箇所はないようだ。
チャクラの流れも安定している。
この様子ならば連続で任務に出ても支障はないか。

十分な休息をとってから任務にあたるに越したことはないが、里は慢性的な人手不足に悩まされている。
使えるものは使うしかない。
ゆっくりとベッドで眠りたいなどという贅沢など、通用するわけもないということか。

「あっそ。じゃあこんなところで油売ってないでさっさと行ってきなさいヨ」
「わーせんせー冷てぇー!もうちょっとこう、おつかれさま、とか、任務頑張ってるおまえは里の誇りだよ、とか、惚れなおしちゃったナルト大好き、ちゅー!とかはねえのー?」
「ない。埃だらけのやつは部屋に入るな。とっとと行ってこい。俺は風呂に入るんだから」
「ちえーっ、て、そうそうコレ、先生にあげる!おみやげー!」

背中に担いだ荷のなかから、ナルトがごそごそと包みを取り出す。

「なにこれ?」
「ぱじゃまー!」
「は?」
「オレの行ってた任務地、織物の街だったの。んでその布すげー気持ちよかったの。だから先生に買ってきたの。風呂あがりに着て!」

わかったようなわからないような説明をするナルトが差し出した包み紙には、なるほど繊維業で有名な街の紋が入っている。
あんなに遠いところまで行っていたのか。

そしてまた休む間もなく、次はどこまで行かされるのだろう。

「……ふうん。ありがと」
「そして、じゃじゃーん!」

ナルトが満面の笑みでもうひとつ全く同じ大きさの包みを取り出す。

「これも置いといて!」
「…それは?」
「オレのぶん!せんせーとおそろいパジャマ!これがあればいつでもせんせーの家にお泊りでき…おわあっ!」
「持って帰れ」

差し出された二つ目の紙包みごと力をかけて後方へ押してやれば、ナルトは窓枠にしゃがみこんだ体勢のまま、あーれぇーなどとベタな叫び声をあげて真っ逆さまに落ちていく。
見おろした窓下で、地面に激突する寸前にくるりと回転して着地したナルトが、俺を振り仰いでおおきく手を振る。

「じゃーねー、先生!任務気をつけてー!」
「おまえもな」
「パジャマ着てみてねー!」
「はいはい」

そのまま俺の頭上にかかる月の位置を確認したナルトが、げげっ遅刻だってばよーと喚きながら大門のほうへ走り去っていく。
静けさを取り戻した窓辺から、ゆるやかな夜風が吹き込んでいた。

***

ほんのすこしだけ風向きが変わり、降りかかる雨に鼻先が濡れる。
防水された厚い外套の生地が雨滴を跳ね返す音が、鼓膜の奥で響いている。
冷たかった肩が、掌の温度と中和していく。

***

紙包みの中身は、砂色の地に霧雨のような細い白いストライプがはいったダブルガーゼの寝衣だった。
前身頃に五つのボタンが付いた上衣に裾の長い下衣という、なんの変哲もないデザインだ。

しかし身にまとったその布地は、驚きを覚えるほどに肌触りがよかった。
風呂から出たばかりの身体の熱をこもらせることなく、適度なぬくもりだけを残して包みこむ。
身じろぎをするたびに肌にふれる感触は、あくまでもさらりと、軽い。

これは本来、乳児の肌着に使われるような布地なのではないのだろうか。
さもなくば、なめらかで甘い香のする柔肌の女たちの衣に。
間違っても傷跡だらけの固い身体をもった男が身につけるようなものではないはずだ。

心許なくなるほどにやさしすぎる肌ざわりは、洗濯をするたびにいっそうやわらかさを増していく。
身にまとうたびに湧きあがる罪悪感とともに。

こんなにやわらかな寝衣を、身につける必要はないのだ。
忍ともあろうものが柔肌であるわけがない。
ひとたび任務となれば着の身着のままで岩場であろうが沼地であろうが眠る。
寝心地が悪くて休息が取れなかったなどという言い訳は通用しない。
体力が回復できなければ、そこで脱落だ。
脱落は任務の失敗であり、場合によっては死だ。
甘えの介在する余地などない。
身体の動きを妨げることのない伸縮性に、体熱を逃さぬ保温性と速乾性。
忍の衣服に必要なのは実用性だけだ。

そういった実用本位の忍服をあたりまえに着て、同じように過酷な環境での任務にあたっているはずなのに、なにをおもってナルトはこんなものを俺に買ってきたんだろう。

肌との境目がわからなくなるほど馴染んでいく布地を身につけて、居心地の悪さに唇を噛む。
甘やかされるような柄ではないはずなのに。
それなのに。

ナルトの掌は、もっとやさしい。
肌に触れるか触れないかのところを、いつくしむように撫でていく。
宝物でも扱うかのような手つきに焦れて睨みあげれば、呆れるほどに真剣な青い目に見つめかえされる。
わずかな反応すら見逃すまいとする視線に苛立って、乱暴に引き寄せて煽ってやれば、目の奥にギラギラと欲をにじませて挑みかかってくるくせに、肌をなぞる指先はやっぱりバカみたいに甘ったるい。
そんなにやさしくする必要などないのだと殴りつけてやりたいのに、いつのまにか甘い快楽が四肢をとらえて呼吸が浅くなる。
おもわず吐息が洩れる箇所を、唇までもが追いかけてなぞる。
子どもじみた高い体温はそばに居るだけで暑苦しくて、触れ合うところからいやがおうにも熱をそそぎこまれる。
あえぐように息を継ぐ唇をふさがれて、侵入してくる舌先のさらなる熱さに眩暈がする。
頬に添えられていた指先が首筋をつたい、鎖骨をいとおしむかのようにたどり、身じろぐ肩先を宥めるようにふわりと包んでいく…

***

ぬくもりはじめた肩先からすべらした己の掌の感触にナルトの指先の記憶を重ねてしまって、抱えていた膝に額を押しあててちいさく呻く。
濡れた固い布地が肌にベタリと貼りつく。
髪の先が不快に湿っていくのに安堵する。

なのに鼓膜の奥に、せーんせ、とどうしようもないくらいに能天気なナルトの声が蘇る。
冷たく固い外套をまとっているはずの背中に、やわらかくやさしい寝衣と掌の幻を感じる。
胸の奥のほうがじわりじわりと温まっていく。

バカナルト、とつぶやいて、抱えた膝を引き寄せる。
あいつのいるところでは、空は晴れているだろうか。

ほんのすこし弱まった雨が、パタパタとフードを打ち続けていた。

fin. (2011.06.22)


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