一緒に空を掴む夢を見ようか


夢を見ていた、ような気がする。
おもいだそうとするその断片は掴んだ端からほろほろと崩れて、形さえもわからないままに儚く散っていってしまうけれど。
ひどく懐かしい夢だった。
胸の底が、まだほんのりあたたかく締めつけられている。
泣きだす寸前のように、手のひらがずくずくと震えている。
涙を流す理由なんて、なにひとつ無いというのに。

馬鹿げたセンチメンタリズムに自嘲の息を吐き、寝返りを打とうとして視線に気付く。
ダブルサイズのベッドの片側で胡座をかくように座りこんだナルトが、無言のままじっと此方を見つめている。
表情の消えた顔にはどこか威圧感があって、飲み込まれそうなほど青く澄んだ瞳に、息が止まる。

「なに、ナルト……」
「夢見たってばよ」

ボソリと答える声は、いつもより低い。
ひくっと己の肩が震えたのが「夢」という言葉に対しての反応だったと、一瞬遅れてから気付く。
掴み損ねた夢の名残が、さわりと舞いあがって脳裏で揺らめく。

「ゆめ?」
「うん。せんせいが」

記憶を辿ろうとするかのように、ナルトの眉間にぎゅっと皺が寄る。
伏せた睫毛がちいさく震える。

「先生が、女装ウサ耳ミニスカメイド服でオレのことうるうるの涙目で見上げながらもう我慢できないのここで今すぐこのままシてくれなきゃ泣いちゃうからって……痛っでえぇえ!」

手元にあった枕をおもいきりよく顔面に叩きつけたらバフッと良い音がしたけれども、願わくばもっと硬くて殴りがいのあるものがあれば良かったとおもう。
たいしたダメージも受けなかったらしき頑丈なバカモノは、俺の投げつけた枕を放り捨ててぎゃあぎゃあ喚く。

「痛てえってばせんせー暴力反対!夢ん中ではあんな可愛くおねだりしてくれたのに酷でえってばよおぉああああっ蹴らないで落ちるっ!」
「落ちろ阿呆。しょうもないことベラベラ喋ってるんじゃないヨ」
「だって夢ってヒトに話したら正夢になるんだろ?!」
「誰がそんな妄想に付き合うか!」
「オレ買ってくるってばドンキでウサ耳メイド服ガーターベルト付きでっ痛でええストップマジ落ちるって待ってええー」

ガツガツ蹴りをいれる踵を避けきれなくなって、ドッタンと派手な音を立ててナルトがベッドから落下する。
デカい図体が視界から消えたのにようやく清々して息をつく。
半身を起こして、もそもそと頭を掻きながら欠伸をする。
なにか考えていたような気がしたけれど、なんだったっけ。
そうだ、夢が。

おもいだしたのと同時に、バッと背中側から抱きしめられる。
がっちりと拘束する腕はよく日に焼けていて体温が高い。
背に張り付いた上体からも暑苦しいほどの熱が伝わってくる。

「へっへー、捕まえたってばよ油断大敵だってばよ!」
「阿呆か鬱陶しい。どけ」
「だめー。ウサ耳付けてくれるって約束してくれるまで離さないってばよ」
「そんなもの付けるわけないだろ」

腰に回された腕にぎゅうと抱きしめられて、振りほどくこともできない。
背中側から肩口に乗せられた顎の尖った感触に、なぜだか既視感を覚える。

「ダキョーしてネコ耳でもいいってば」
「断る」
「えー、じゃあ何ならいいんだってばよ、イヌ耳?ヒョウ耳?クマ耳?」

へらへらとした口調でまくし立てながらも、もう片方の手でちゃっかりと寝衣の胸元のボタンをひとつふたつと外していく。
腕ごと拘束されて動けないながら、素直に受け入れる気にはなれずに身を捩る。
あまり効果のない抵抗を軽々と封じたナルトの指が、寝衣の合わせ目から忍びこんでくる。
濡れて冷たいであろう感触に身構えたのに、するりと肌を撫で上げる手のひらはさらさらと乾いていた。

当たり前だ。
互いに寝起きで、風呂に入ったわけでも手を洗ってきたわけでもあるまいし、濡れている訳がない。
なのに何故俺はいま、ナルトの手が濡れているはずだなんておもったんだろう。

夢の断片がまた頭の隅をよぎった気がした。
ざあざあと流れる水の音。
ひそやかに笑うナルトの声。
闇のなかにぼんやりと形作るちいさな窓枠、古めかしい水道の蛇口。
濡れた手のひらが肌をすべる感触。

あやふやな記憶を、頭を振って追いやる。

「……ヒト耳なら付けてやらなくもないよ」
「おおマジ?よっしゃ!やったぁあー……ん?」

能天気な雄叫びをあげて喜んだ隙になんとか不埒な指先からは逃れる。
だが馬鹿力の腕の拘束からは抜け出し損ねた。

「ヒト耳じゃ変わんねえじゃん!」
「変える必要がどこにある」
「男の夢だろ浪漫だろ!」
「俺だって男だ」
「じゃあこの浪漫がわかるだろ協力してよ!」
「そんな阿呆な浪漫抱くのはおまえだけデショ!」

腹立ち紛れに、そのまま後ろへぐんっと勢いよく全体重をかけてやる。
とっさに支えきれなかったらしきナルトが、ふぎゃっと情けない声をあげながら、俺の下敷きになってベッドに倒れこむ。
じたばた藻掻くナルトをクッション代わりのように背に敷いて、仰向けに寝転がって一息つく。
ようやく開放された腕を宙へと伸ばしてみる。
指の先には、ガラス越しに見える真っ青な空。
ぽこりぽこりと浮かぶ、掴めそうなほど丸く白い雲。

「いーい天気」
「いい天気だってばよ買物日和だってばよだからドンキに……ぐええ押さないでえ潰れる潰れる!」
「おまえしつこい」
「ぜってえ諦めないのがオレの忍道だってば」
「なによ忍道って」
「しらねえ?ニンジャ漫画に出てくるんだってばよー…よし、捕まえた!」

俺の身体の下敷きになったままにモゾッと引き出したナルトの右手が、宙に伸ばした俺の腕を捉える。
雲を掴み損ねた手のひらが、ナルトの五指に包まれる。
遠く青い空を背景にして、己の手をがっちり捉えたナルトの日焼けした甲に、まっすぐな骨のかたちが放射線状に何本か浮き出ている。
背中の下に、呼吸で上下するナルトの身体の厚みと温度を感じる。
半分ほど空いた窓から涼しい朝の風が吹きこんでいる。
ほんとうに、いい天気だ。
買い物くらいなら付き合ってやってもいいかもしれない。
ウサギ耳やら何やらを買うのはお断りだが。

ベランダの端で、紫陽花の鉢植えがふわふわと揺れている。
頭の隅に残っていた夢のかけらも、やわらかにそよぐ風に乗って、どこかの遠い彼方へ消えて去っていってしまった。

「出会えたのは緑」#6
(20130913)






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