夏は来たりぬ


「今の若い人は着ないのかもしれないけれどね、よかったら貰ってくれるかね」
そういって差し出された畳紙からは、ツンとした防虫薬の香がした。

任務帰りに重そうな荷物を背負ったばあちゃんがいたから代わりに運んであげただけなんだけれど、家まで着いたらあがっていってくれと言うもんだから、勧められるまま縁側に腰掛けて、麦茶を飲んで甘納豆をつまんだ。
ばあちゃんのうちは昔っぽい瓦屋根の家で、奥までずっと続いていく畳敷の部屋は、昼間でもすこし薄暗くてしんと静かだった。
飼い猫であるらしい無愛想で小太りのブチ猫をからかって遊んでいるうちに、ばあちゃんが奥の部屋から出してきた、細長い和紙の包み。

「息子のために仕立てたんだけどね、秋祭の前に死んでしまってね。けっきょく袖を通さずじまいで。もう20年になるけれど、虫は食っていないようだからね」

着物なんて着方わかんないんだけれど、断っちゃいけないような気がしたから、そのまま貰った。
包んでもらった風呂敷を下げて商店街をぶらぶら歩きながら、そうだカカシ先生なら着方知っているかもしれない、と思った。
いやむしろ先生に着せたい。
浴衣でデートっていいんじゃないの。
胸元の合わせ目から先生の白い喉がすいと伸びて、歩くたびに着物の裾がひるがえって先生の細い足首がちらちら覗いちゃうわけだ。

「く〜っ、たまんねぇ〜!」

キモノキモノ、キモノでデート〜と適当な歌を口ずさみながら、風呂敷包みを抱えたままぐるりと方向転換して、商店街の表通りを引き返した。


***


「せんせー、脱いで!!」
「退場」

ばんっ、と騒々しい音を立てて入ってきた闖入者に、読みかけの本から目もあげぬまま玄関を指差す。

「ちょっ、せんせ、いきなり退場はないだろ!」
「いきなり阿呆なこと言ってきたのはどっちだよ」
「あ、やっだな〜脱いでってそういう意味じゃないってばよ、って別にそういう意味でもオレはぜんぜん構わな…イデデデ、ギブ、ギブ!ちょっとまって、これ、これ!」

飛びついてきたナルトの腕をひねり上げて玄関から放り出そうか窓から突き落とそうか迷っていたら、ナルトが店名の印刷された白い紙袋を差し出す。

「なにこれ、呉服屋?…ってそういえばおまえなんで着物きてるの?」
「今頃気づくなんて遅いってばよ…オレ男前でしょ?粋な感じ?惚れ直しちゃう??」
「…七五三?」

オレはコドモじゃないいい〜と大袈裟に嘆くナルトを放置して、紙袋の中を覗く。
中には藍色のよろけ縞の浴衣と、錆浅黄の角帯、下駄。

「どうしたの、これ…と、それ?」

紙袋とナルトが身にまとった枡花色の単衣を交互に見やると、待ってましたとばかりにナルトが身を乗り出す。
ナルトが身ぶり手ぶりで振りまわす着物の袖から、虫除けの樟脳の匂いがする。

「………ってことでね、せっかくだから先生のぶんも買ってきたの!浴衣でデート!このまま晩飯食べにいこうよ!オレ呉服屋のオバちゃんに浴衣の着方ばっちり習ってきたから、せんせーに着せてあげるってばよ、ね、だから脱いで!」
「ふーん、20年前ね…」

まとわり付いてくる手足を適当にかわしながら、目の前の20歳の男を見下ろす。

20年前、秋祭の前に死んだという老婆の息子。
それはもしかして九尾の一件で、ではないのだろうか。
もちろん人が若くして死ぬ理由はいくらでもある。
病気だったのかもしれない、忍だったのなら、任務ということもありうる。
だけれども。

九尾の襲撃で、里は甚大な被害を受けた。
多くの忍が戦死し、多くの里人が逃げ遅れて死んだ。
20年前の、秋祭の前の日に。
無関係だろうか、それとも。
老婆ははたしてナルトがその九尾の人柱力だと知っていたのだろうか。

ねーせんせーと甘えた声を出してくっついてくるナルトが着た単衣の、キツい樟脳の匂い。
それが20年分の老婆の想いのような気がして、眉を顰める。

考えすぎかもしれない。
ナルトがここまで無邪気に身に纏っているのだから、悪意があって渡されたわけではないのだろう。
そもそも九尾の一件だって、ナルトに非があるわけではないのだ。
もっとも、里人のすべてがそう考えてくれるわけではないが。

「先生?」

青い瞳に真下から覗き込まれて、我に返る。

「わかったから…ちょっと待ってろ、こんなしつけ糸が付いたままじゃ着られないだろ」

ナルトが手にした真新しい藍色の浴衣を取り上げて、寝室に入る。
え、着てくれんの?やったああ!とナルトが能天気な雄たけびをあげるのを背後に聞きながら、クローゼットの奥の引き出しを探った。


***


「せんせー、ひでえ!」

寝室から出てきたカカシ先生を見て、悲鳴をあげる。
ちょっとハサミかなにかを取りにいっただけかというほどの、ほんの一瞬しかたっていなかったのに、戻ってきた先生はすでに浴衣姿だった。
しかも口布はしたまんまだ。
さすがに手甲はしていないから袖口からのびた手首は細くて白くて、裾からのぞく踝も舐めたいというか齧りたいというかくらくらするぐらい色っぽい、んだけど。

「オレが着せたかったのにいいいい!」
「これぐらい、一人で着られるのは当たり前でしょ」

呆れたようにいったカカシ先生が、前触れもなくオレの着物の合わせをつかんで、手を突っ込む。

「ぎゃ!なに!セクハラ!」
「阿呆…」

なにがセクハラなんだよまったくこいつは、とこめかみを押さえるカカシ先生を横目で見ながら、先生が懐に突っ込んでいったものを恐る恐る取り出す。
白いガーゼのような布に包まれているのは、ちいさな木片。

「なにこれ、かわった匂いがする…」
「白檀」

香木だよアカデミーで習ったんじゃないの、それ蒸留すると殺菌効果があるんだよ薬にもなるし、と先生がいいつのる。

「あ、そうだこれ、お寺の坊さんの匂いだ!」
「…まあそうかもね。でも樟脳の匂いよりはマシでしょ」

なぜだか視線をそらせながらいう先生の胸元をつかんで、引き寄せる。

「ちょっ、なに?」
「せんせーもおんなじ匂いがする」

あ、だって、新しい着物は藍の匂いがきつすぎるから、とちょっと困ったような声で先生が答える。
忍らしく普段は不必要な香りをまとうのを嫌がる先生が、おなじ香を身につけている。
やわらかくて、ほんのすこしだけ甘い香り。
きっと何か理由があるんだろうけれど、いま聞き出そうとするとまた一瞬で元の忍服に着替えられてしまいそうだったから、質問するかわりに先生の肩口に顎をのせて両腕ごと抱きしめ、おそろいの匂いで嬉しい、と耳元に吹き込んでみる。
抵抗されるかとも思ったけれど、大人しくされるがままになっている先生の背中を、撫でる。
真新しい着物の生地がさらりと手のひらに触れる。

「せんせ、浴衣着せてあげられなかったから、せめて脱がすときはオレにやらせて」

調子にのって囁いたら、突き飛ばされた。
迷いもなくオレの脳天めがけて振り上げられたカカシ先生の左足の軌跡を目で追いながら、藍色って先生の色の白さを引き立てるよね、やっぱオレって天才、と自画自賛して、蹴り倒されるまでの0.1秒の幸せに浸った。

fin. (20080628)


<テキストへもどる>