はなれ、ばなれ


遠く離れたところでも、声が聞ける道具があればいいのに。

デカい木のてっぺんに登って、ざわざわと吹きつける夜風に頼りなく揺れる細い枝のうえでゆらゆらバランスをとりながら、手にした細長い紙に文字を書きつける。
里ではまだツクツクボウシが鳴いていたのに、オレの足下のほうから聞こえてくるのはリーンリーンとすっかり暑さを忘れてしまったような秋の虫たちの合唱だ。
樹々のあいだを通りぬけていく風も、どこかひんやりと冷たく感じる。

通りぬける、そう、たとえばイノの父ちゃんに頼んだら。
里から遠く離れたこんなところからでも、イノイチのおっちゃんの頭を通りぬけたオレの言葉はカカシ先生にまで伝えられるだろう。
でもおっちゃんの脳ミソ越しじゃ、あんなこととかこんなことなんて言えねえし。
それに精神感応じゃなくて、オレは直接先生の声が聞きたい。
甘く鼓膜を震わせる低い声。
口布越しにすこしこもる声、口布を外したときに甘さを増す声。

聞きたい。
いま、すぐに聞きたい。

ものすごく長い糸電話を作ったら、ここまで声が届くだろうか。何百kmもの先で、紙コップの受話器のなかに向かって、おーいと話しかける先生の姿を想像する。
火影岩のてっぺんに座った先生から、ピンと伸びてこの樹上まで繋がる長い長い糸。

チチュン、と肩先で小鳥が鳴いて、我に返る。
悪りい悪りい、そんな糸が空に張ってあったらオマエら飛ぶときに引っかかっちまうよな、と独り言をいいながら、筆をしまって、細長い紙をさらに細長い形に折る。
肩先に留まっていた小鳥が腕の先へと降りてきたところで、その華奢な片脚に折り畳んだ紙を結わえる。

最速の伝令鳥はもっと脚も太くて翼も大きくて頼もしいかんじだけど、あれを私用に使うと先生にも綱手のばあちゃんにもすんげえ説教されるから、今日のところは普通速度の伝書鳥だ。
いまから送ってもここから里までは丸々一日かかってしまうから、届くのはきっと日が暮れて夜になってからだ。
せめて日付が変わる前に届けてくれよと呟いたら、腕に留まった小鳥が嘴でオレの鼻先をチョコンと突つく。
指先でそのちいさな背をそっと撫でてやったら、オレンジ色の嘴がまた、チョコン、チョコンと可愛らしく鼻先を啄む。

「なに、慰めてくれてんの?」

くすぐったい感触に笑いながら、その嘴の先にチョンッと唇を付ける。

「ソレもついでに届けておいてくれってばよ」

キョトンとした表情で首を傾げる小鳥の姿にまた笑いながら、腕を高くさしのべる。
人差し指にまで移動してきた小鳥の尖った爪が、一瞬ぐっと肌に食い込んでから、バタタッという羽ばたきと共に指先を離れる。
黒いラインが入った白い羽根は、藍色の夜空に溶けこんですぐに見えなくなった。
小鳥が飛び去った里の方角を、満月になるにはまだすこし早い月が照らしている。

ぐううっと大きくひとつ伸びをして、反りかえった体勢のままに頭から樹下へと墜落する。
目の前に次々とざわめく緑葉が映り過ぎる。
ときおり細い枝がピシピシと肩や背を叩いていく。

あの手紙を読んだら先生はなんて言うんだろう。
なにいってんの、かな。
しょうのないヤツだな、だろうか。
それとも、バカだねえ、とか。
はああって大袈裟に溜息つきながら、あの、甘い声で。

聞きたいなあ、とおもいながらクナイを一本引き出して握り、地面に激突する寸前にくるりと反転して足裏で木の根元を蹴って、月の光さえも届かない暗い森の奥へと一直線に駆け抜ける。
べちゃりと湿った苔が足を濡らす。
ひやりと背中に冷気が走る。
クナイを持ち替えたほうの指先に、小鳥の爪の感触が残っている。

どうかオレのこの気持ちが今日中にちゃんと先生に届いてくれますように。
そんなことばかりを心のなかで祈りながら、里の方角とは正反対の微かな火薬の匂いがするほうへ、ただまっしぐらに走っていった。

fin. (20120915)


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