勇敢なあたらしい世界
[3]「先生!本運んできた!ABCもカンペキ!」
「そう?PとMとどっちが前?」
「えー、M!」
「正解。じゃあ589.7/Sの本と527.1/Oの本と595.6/Dの本、いちばん先に来るのはどれだ?」
「は?え?なに?」
「ハイ失格」
「ちょ、ズリイってばよ、そんなの!」
「まだ運ぶ本いっぱいあったデショ。体力あるのがいると助かるネー、じゃこれまたヨロシク」
積んできた本をざくざくと床におろした先生が、容赦なく空のブックトラックを押し付けかえす。
タイヤが付いていたって、ギッシリと本が詰まったブックトラックを押してくるのはずいぶんな重労働だし、本を積みおろしするのだってかなり力が要る。
「図書館の仕事って、けっこう肉体労働なんだな」
重たくなってきた肩をぐるぐる回しながら言ったら、カカシ先生がちょっと目を細めて、
「デショ?」
と小首をかしげる。
なにその可愛い仕草。
「やっぱオレもここでカカシ先生眺めながら配架作業したいです!」
「俺なんか眺めてても仕事は終わんないのヨ。ホラはやく本運んできて」
「ちえー」
ぶつくさ言いながらまた中央図書室へと引き換えす。
せっかくの密室二人きりのチャンスだったのに、オレってホント馬鹿だ!
***
中央図書室の壁際に積んであった本を運び終えたとおもったら、次は図書室に隣接している航空分野の書庫の隅に置いてあったダンボールにつめられた本を、ブックトラックに移しかえて運ぶようにといわれる。
地下書庫とのあいだを、もう何往復しただろう。
いいかげん凝り固まってきた首をゴキゴキと鳴らしながらマジックで研究室名が書かれたダンボール箱をバサバサと開けていたら、地下書庫にいたはずのカカシ先生がペッタペッタとサンダルをならして航空書庫にはいってきた。
「うずまきくん、俺ちょっと急に総務の会議に呼ばれちゃって。悪いけどこれでも食べててくれる?」
先生が差しだす半透明のビニール袋には、見慣れた青いロゴが印刷されていた。
壁にかかった時計を見上げれば、時刻は12時半をすこし過ぎたところ。
そういえば腹が減ってはきていたけれど。
「え〜、コンビニ飯?マジでデートじゃねえ…!」
「だって今日は学食も開いてないし。図書室は休館日だから誰も来ないとはおもうけど、なるべくはやく戻ってくるからヨロシクネ」
「先生は?」
「え?」
「先生は、昼飯どうすんの?」
「俺のことなんて気にしなくていいヨ。じゃあ…」
「駄目だってそんなの!」
とっさに先生の手首を掴む。
「せんせ食わないからこんな細いんじゃねえの?ほら手首だって、オレの指こんな余るぐらいだし」
「そんなのうずまきくんには関係ないデショ」
むっとしたように先生が腕を振りほどこうとする。
「関係あるってばよ、だってオレは先生のことが…」
「…っ俺、いま時間ないから!」
ばっとおもいきり振り払われて、引き止める間もなく先生が書庫を出ていく。
ギイイと閉じていくドアの軋みに重なって、ペタペタという足音が廊下を遠ざかっていく。
「あ……ヤベ、失敗、した」
完全に閉ざされてしまったドアを呆けたように見つめたまま、ズグズグとしゃがみこむ。
冷たい床に尻を下ろし、足を投げ出し、天井を仰いで、溜息をつく。
なに焦ってるんだろう、オレ。
ゴン、と後頭部を壁に打ち付ける。
ゴンともう一度。
鈍い振動が脳味噌を揺らす。
せっかく先生とふたりきりなのに作業は別々で、地下書庫まで本を運んでいくたびに勇んで話しかけるのに毎回あっさりあしらわれて、フラストレーションが溜まって、だから、つい。
耳をすませても、もう先生の足音は聞こえない。
壁に取り付けられた換気扇のファンが、低い唸りを上げて回る音がするだけだ。
ドアを出ていくときの先生の、すこし猫背気味の白衣の後姿が目に焼きついている。
「手首、ほそかったな…」
とっさに掴んだのに、ちょうどオレの中指の真下で、先生の脈がドクリ、ドクリと動いているのがわかった。
生きているんだなあと、そんな当たり前のことが、なぜだか感動的で。
なのに、オレときたら。
あああああ、と頭をかきむしった拍子に、腕に引っ掛けたままだったコンビニ袋がガサガサと音を立てる。
袋を引き寄せて、中身をのぞいてみる。
そこにはおにぎりが5つ入っていた。
パッケージに書かれたおにぎりの具は、焼肉、すき焼き、牛丼、肉味噌、焼き豚。
みごとな肉系セレクションだ。
先生にとって、オレってそういうイメージなんだな。
おにぎりの下には500mlのお茶のペットボトルと、千切りキャベツたっぷりの大きな野菜サラダ。
「…ったく、いくらなんでも多すぎだってばよ」
ククっと笑い出したら、とまらなくなった。
なんだよ先生、自分用だったら絶対こんな肉ばっかのおにぎり買わないんだろ。
しかもこの野菜サラダって、栄養バランス考えてくれちゃったのかよ。
壁に頭をもたせ掛けたまま、へらへらと笑い続ける。
天井の蛍光灯が、ジリジリと白っぽい光を投げ落とす。
バシッと手のひらに拳を打ちつける。
よし、と気合を入れなおして、立ち上がる。
まずは飯を食って、あとのことはそれから考えよう。
こんなことくらいでヘコん場合じゃねえってばよ。
ジーンズについた埃をバタバタと叩き落として、コンビニ袋を持ちあげる。
薄暗い書庫を出たら、窓から差し込むやわらかな昼の日差しが、あかるくあたたかく廊下を照らしていた。
→[4]
(20091021)
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