勇敢なあたらしい世界

[4]

4つめからは苦行のようになってきたおにぎりを頬張りながら、またがるように座った工学部中央図書室の検索端末用椅子をギシギシ鳴らす。
キャベツのサラダは食っても食っても底が見えない。
うんざりしながらペットボトルのお茶をゴクゴクと飲んでいたら、ドアにココンッと軽いノックの音。

「あ!カカシせんせっ、おかえり、オレ、あの…っ」
「お?カカシサンいないの?」

ドアから顔を覗かせたのは、青いツナギを着たイケメンの用務員さんだった。

「せっかくコーヒーメーカー直してやったのにな。どこ行くって言ってた?」
「なんか総務で会議とか…用務員さんってコーヒーメーカーも直すの?」
「ははっ、普通はしねえよ。俺は天才だからなんでも直しちまうのー」

腕にかかえた器具をガチャガチャいわせながら、用務員さんがふらりと部屋に入ってくる。

「総務で会議ってことは、ダンゾウか。それならしばらく帰ってこねえかもな。あのジイさん無駄な会議が好きだから…」

勝手知ったる様子でカカシ先生がいつも座っている席の後ろにまわり、ロッカーの上のちょうど開いたスペースに器具を置く。

「おまえさん、コーヒー飲める?」
「え?うん」
「じゃあ試運転」

にっ、と笑いながら給湯コーナーへ引っ込んだ用務員さんが、コーヒーの粉のパックと三角のフィルターと水を入れたガラスのサーバーを手に戻ってくる。

「で、おまえさんはココでなにやってんの?」

カポカポとコーヒーメーカー本体に水をそそぎながら尋ねられて、ちょっと返答に詰まる。
なにやってんだろうな、オレ、ホントに。

「まあ、手伝いっていうか…こき使われてたところ?」
「へえー、カカシに?そりゃ珍しい。よっぽど気に入られてんだな、おまえさんは」
「気に入られてる?」
「だってあいつ、どれだけ大変な作業の時だって、いつも一人でやってるぜ。まったく人見知り激しいっていうか、なかなか人に心開かないよなあいつはなー」

口端にくわえた楊枝をひょこひょこと動かしながら、器用そうな指先がコーヒーフィルターの隅に折り目をつける。

「……でもさ、アスマ先生とは親しそうだったってばよ?」

髭の先生の煙草の匂いと、カカシ先生のちょっと甘えた口調をおもいだし、無意識のうちに口の先を尖らせる。

「そりゃおれたちは大学一緒だったから」
「おれたちって、あんたも?」
「おう、年齢はみんな違うんだが、同じ体育の授業とってたんだぜ。カーリング!」
「カーリング?」
「知らねえ?氷の上に丸い石滑らせて、ブラシで掃いて軌道修正するやつ」
「あー、テレビでみたことある…って、あれが、体育?一般教養科目じゃねえの?」
「珍しいだろ?マイナーすぎて誰も受講申請しなかったらしくてな。おれはちょうど大学休学していろんな国放浪して帰ってきたとこだったから、もう問答無用でそのクラスに入れられちまったの。アスマも留学先から戻ってきたとこだったから、同じように放り込まれたんだろ。カカシは確か一般教養受講申請日に遅刻して、余ってたとこ適当に取ったとか言ってたかな。あともう一人メンバーがいたんだが………っと、3杯でいいかな、カカシ帰ってくるまでに煮詰まるか?」

ぶつぶつ呟きながら、用務員さんがセットしたフィルターにコーヒーの粉を3杯入れる。
いい香りが、あたりに広がる。

「カカシ先生がカーリングって、なんか想像つかねえってばよ」
「そうか?おれたちカーリングで地区大会まで行ったんだぜ?総合2位!」
「え?マジ?体育の授業なのに??」
「3組中の2位だけどな。マイナーだったから参加校じたい少なくてよー」
「ドベ2ってことじゃん」
「ドベじゃないところがすごくねえ?ただの体育の授業なのにさ」

へらへらと笑いながら、用務員さんがコーヒーメーカーのスイッチをパチンと入れる。

「もしかして、あんたカーリングが好きだから用務員の仕事してんの?いつも箒とかブラシとか持ってるよね?」

おもいついたことをふと口に出したら、用務員さんはちょっと目をまん丸にして、それからぶふっと吹き出した。

「ぶひゃひゃひゃひゃっ」
「なに、オレ、そんな変なこと言った?」
「ひゃひゃひゃ、いいなーおまえ最高だわ!そういや、おまえさん名前は?」
「オレ?うずまきナルトだけど」
「ナルトか。おれ不知火ゲンマな」
「あんたが『ゲンさん』?」
「そう呼ぶやつもいるなー」

ゴボゴボと音を立てて、ガラスサーバーに黒いコーヒーが溜まっていく。
まだ可笑しそうにククッと声をたてながらコーヒーメーカーをチェックしたゲンマが、ちゃんと直ってるおれ天才、と呟きつつ給湯コーナーへ引っ込み、マグカップをふたつ持ってくる。

「……なあ、じゃあゲンさんは、カカシ先生のことよく知ってんだよな?カカシ先生って、どんなひと?」
「どんな、って?」

マグカップに注がれたコーヒーを、ほいと手渡される。
真っ黒な液体が、ゆらゆらと湯気を立てている。

「ミルクとか砂糖がないと飲めねえか?」
「ある?」
「あったかもしれんな…」

再び給湯コーナーに引っ込んだゲンマが、なにやらガタガタバタバタという物音ののちに戻ってくる。
ほら、と差し出す手の上にスティックの砂糖が一本と、コーヒー用のミルクが二つ。

「賞味期限はわからん」
「マジ?ヤバくね?」
「死なねえだろこれくらいじゃ。で、カカシがどんなやつかって、どういう意味だ?おまえさんは今日一緒に作業してたんだろ?」

んーと呟きながらミルクを開けてコーヒーに注いだら、ポトンと一滴だけ白い液体が落ちた。
よく見ればちいさな容器の内側に、すでに固形と化したミルクがへばり付いている。

「ゲンさん!これ固まってる!」
「そりゃ残念。やっぱ賞味期限切れだったか」
「残念って、一滴入っちまったってばよ!」
「大丈夫だって、死なねえよ、そんぐらい」
「腹壊すって!」
「大丈夫大丈夫。飲め!」
「えええええー」

なぜだか迫力いっぱいに強要されて、おそるおそるコーヒーに口をつける。
腐った匂いはしない。
むしろいい香りのコーヒーだ。
でも、苦い。
一滴だけ落ちたミルクが、真っ黒だったコーヒーの色をじんわりと変えていく。

「……なんかさ、朝からずっとカカシ先生と作業してたんだけど、先生オレが一生懸命話しかけてもさらっと交わしてばっかりで、結局先生のことなんてなんもわかんないままなんだってばよ…オレ、先生のことをもっと知りたかったのに…」

それで焦りすぎてヘマするし、というのは心の中だけで呟いておく。

「だからゲンさんがカカシ先生のことよく知ってんなら、教えてもらいたいなって」
「カカシは根暗で猫背で救いようもなく後ろ向きでエロ本マニアの変態野郎だ」
「えっ?」
「っておれが言ったら、どうすんだ?」
「……」

カカシ先生の席から引っぱってきた椅子にどっかりと腰をおろしたゲンマが、くわえていた楊枝を左手でもてあそびつつコーヒーを啜る。

「カカシのことを知りたいって言うけれど、おまえさんが本当に知りたいことってのは、おれから見たカカシがどんなやつかってことじゃなくて、うずまきナルトにとってのはたけカカシがどういうやつかってことだろ?だったらおれにきいたってしょうがねえよ」
「……だけど」

長楊枝を右耳のうえに挟んで、ゲンマが両手でマグカップを抱える。

「人間ってのは多面的なもんだ。あいつはどういうやつだ、こういうやつだと単純なひとことで決めつけたがる輩もいるけど、どういうやつかっていう評価ってのは、見ている視点によっても変わるよな。おまえがカカシを知りたいのなら、おまえがおまえ自身の目で見るしか方法はねえよ。他人の評価は、あくまで他人の評価だ。そう簡単に自分の内側を晒すやつじゃねえかもしれないが、気長にくっついてりゃ嫌でもそのうちわかってくるだろ」

コーヒーを嚥下するゲンマの喉が、ゴクリと動く。

「でも、あんまくっついてたら嫌がられそうなんだけど」
「おーそりゃもう間違いなく嫌がるだろうな!」
「ダメじゃん、それじゃ」

けらけらと笑うゲンマに脱力する。
オレ、相談する相手を間違ったかも。

「じゃあ踏み込まない適切な距離を保って、波風立てない穏やかなカンケイってのをキープするか?その他大勢のひとりとしてな。それなら嫌がられないぞ」
「その他大勢なんてイヤだってばよ。だってオレは…」

カカシ先生の、すこし間延びしたやわらかな声が鼓膜によみがえる。
笑うときに、ふ、と細められる目。
癖のある髪、細い指先。
そのすべてに触れたいとおもう。
あの瞳が、オレだけを映してくれたらいいとおもう。

すいと目を眇めて口端を引き上げたゲンマが、まあ飲めよ、といいながら未開封のミルクの容器を開けて、止めるまもなく中身をオレのコーヒーに投入する。

「ちょ!ゲンさん!いまボチャンっていった!固体!」
「大丈夫、これくらいじゃ死なねえって」
「げええんさあああん!」
「飲め!」

口元はへらへら笑っているのに、目はなぜかむちゃくちゃ真剣だ。
なんでこのひとはこんなのばっかりオレに飲ませたがるんだ?

「あのな、おまえがどの程度の気持ちで言ってるのかわからんが、おまえがいま欲しい欲しいと駄々こねてる相手は、可愛い大学生の女の子じゃねえんだぜ?生半可な気持ちで手にはいるわけがねえし、万一手にいれたとおもっても、すぐさま消滅するだろうよ」

嫌がられるのを怖がってるレベルでなにができるんだ、と、まっすぐな視線に射抜かれる。

「欲しけりゃ、迷うな。突き進め。ガキのおまえにできることなんかそのぐらいしかねえよ」
「ガキじゃねえってばよ」
「ガキだよ。カカシといくつ違うんだ?13?14?」
「え、カカシ先生って三十路?」
「32だろ、たしか。萎えたか?」
「ぜんっぜん!」

力いっぱい答えたら、けけっと笑ったゲンマがコーヒーを飲み干して立ちあがる。

「おれから言わせりゃ、カカシはいつだって他人と距離取りすぎなんだよ。しかもそつがなさ過ぎるから、それに気づかれもしないんだ。たまにはおまえさんみたいなのに踏み込まれて、完膚なきまで引っ掻き回されればいいんじゃねえ?頑張れよ、うずまきナルト!楽しみにしてるぜー」
「あの、もしかしてゲンさんって、おもしろがってんの?」
「あったりまえだろ!」
「……やっぱ相談する相手を間違ったってばよ」

椅子の背にヘたりと顎を乗せて溜息をついたオレを可笑しげに見下ろしながら長楊枝をくわえなおしたゲンマが、そんじゃあな、と片手をあげて、来たときとおなじようにふらりと部屋を出て行く。
あとに残されたのは、乳白色に表面が覆われつつある、マグカップの中に揺れる、コーヒー。

ああそうかよ。
生半可な気持ちじゃ無理だっていうなら、良いも悪いも全部ひっくるめて飲み干してやろうじゃないの。
相手が女の子じゃなくたって、オレがどんなにガキだって、そんなことで諦められるわけないってばよ。

マグカップの取っ手を引っつかみ、目を瞑ったままで、ゴブリとコーヒーを飲む。
まだ熱いままのコーヒーは、砂糖を入れるのを忘れていたというのに、なぜだか仄かに、甘い味がした。

→[5]

(20091029)


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