日を暮らす: を


確かに名前は覚えていなかった。
でも、これじゃなかっただろうってことも、相当に確かなことだった。
カカシ先生が興味深そうに眺めている珈琲豆のパッケージを横目でこっそりと眺めて、内心で深くため息をつく。

岩の国での任務が入っていた日の朝、ちょうどテレビで岩の国限定の珈琲が紹介されていた。
珈琲なんて苦くてオレはあんまりウマいとはおもわないけれど、レポーターの舌ったらずの女の子が読み上げていた「香りが高くフルーティーな酸味と深い甘みがある」というその珈琲の紹介文は、カカシ先生の好みなんじゃねえかとおもった。
だからその長ったらしい珈琲豆の名前をメモした、はずだったのに、いざ岩の国に着いたらメモがなかった。
それでも店の場所はわかっていたから、行けばなんとかなるんじゃないかと、考えたのは間違いだった。
店のなかには何十種類もの豆があって、どれも舌を噛みそうな複雑な名前がついていた。
一生懸命記憶をさぐって、なんか「ろ」ではじまって「麿」っぽい言葉で終わって、あとちっちゃい「ゆ」とかもあったような…と、ウンウン悩んで唸りながらなんとかひとつ選んできたんだけど。

「ローズマシュマロコーヒーなんてあるんだね、俺、初めて見たヨ」

……オレも初めて見たってばよ。

ローズって薔薇だろ?
そんでマシュマロだろ?
違うよな絶対違うっぽいよなあでもなあ…と悩み続けるオレを放置したまま、先生が珈琲豆を挽き、フィルターをセットして沸かした湯をゆっくりと回し掛ける。
薔薇とマシュマロの、フローラルで甘ったるい香りが立ちのぼる。
おまえには牛乳ね、とオレにグラスを渡してから、先生がマグカップに注いだ珈琲を一口飲む。
こくり、と先生の喉が上下する。
無言のままで、さらにもう一口。
先生の静かな表情は、変わらない。

「先生!オレにも味見させて!」
「え、おまえ珈琲苦手でしょ?」
「いいから、一口くれってば!」

耐えきれなくなって先生のマグカップを奪いとり、ゴクリと飲み込んで、むせる。

「ブヘッ!ゴホッ!マズっ!うげっ、これ超マズイってばよ!」

甘ったるくて苦くて鼻につく花の香りがする吐き出したくなるようにイヤな味が口のなかいっぱいに広がって、慌てて牛乳をガブ飲みする。

「そう?そんなに悪くはないヨ、すごく面白い味だけど」

オレから取り返したマグカップの中身を、先生が再び口に含む。

「ちょっ、先生!無理して飲むなよ、マズけりゃ捨てれば…」
「捨てないよー」

のほほんと言い放った先生が、珈琲を飲み干す。

「せっかくのお土産だから全部いただくよ。あ、おかわり貰うね」

未だ咽奥に残る後味と戦うオレを涼しげに見下ろした先生が、サーバーに残っていた珈琲を再びマグカップに注ぐ。
そしてふいに目元を細めて、なんだか楽しそうに笑いながら、ローズマシュマロコーヒーをコクリと飲んだ。


を  おいしくもないコーヒーを、なぜかおかわりした日のこと
(20120817)

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