夕立にまぎれた感情
風の強い日だとは、おもっていたのだけれど。
日暮れあたりからポツポツと降り始めた雨を、夕立じゃねえのくらいに考えていたらどんどん風と雨が強まって、里外れの古びた一軒家はまるで藁でできた仔豚の小屋のように、ミシミシ、ギシギシと危うげに軋んで揺れる。
ガチャン、となにかが倒れた音がした。
植木鉢だろうか。
錆の浮き出した鉄製の門扉の脇には確か、紫陽花の植わった鉢が置いてあった。
何日か前、先生が気まぐれのようにどこかで買ってきたのだ。
まだ花芽も目立たない数十センチほどの枝には、丸っこい緑の葉ばかりがワサワサと茂り始めていたはずだ。
やっぱり植木鉢とかぜんぶ、部屋のなかに仕舞っておけばよかった。
「オレ、ちょっと鉢とか取り込んでくるってばよ」
ソファから立ち上がって玄関に向かいかけたら、ゴゴウという風の音とともにまた家がギギッと軋む。
これじゃ傘は役にも立たないだろう。
コートハンガーにかかった任務用の撥水加工のマントに手を伸ばしたら、キッチンから顔を覗かせた先生がオレの腕をトッと掴んで留める。
「いいよ」
「ええ、でも」
「割れた鉢は、明日植え替えるよ」
「けどさあ…」
ガタガタッと窓ガラスが揺れる。
ドゴンと何かがぶつかる鈍い音がする。
ビョウビョウとひときわ大きく吹きつける風の音がしたとおもったら、ふいにブツッと電気が切れた。
「あ」
「停電?」
「みたい。電線が切れたのかも」
「やっべえ、やっぱオレ見てくるってば」
踵を返そうとするオレの腕を、掴んだままの先生の手が引き止める。
「切れてたら、余計に外に出るのは危ないでしょ。だいたい切れた電線、直せるの?」
「…直せません」
はああ、と先生が溜息をつく。
「じゃあ外に出ても仕方ないでしょ。大人しく家の中に居なさいよ。夜目は効くんだから電気が点かなくても困らないんだし」
「それはそうだけどさー」
ガシャガシャンと門扉が揺れる音がする。
暗がりの中で、先生はオレの腕を掴んだままだ。
強く力を入れられているわけじゃないのに、女の子のように弱くもない。
先生の長い指に込められているその力具合が、何故だかオレの胸の奥をぎゅうと握り締める。
闇に慣れてきた目が、先生の顔の輪郭を捉える。
仄かに発光しているかのような、その白い頬に手を伸ばして触れる。
「なに」
「あのさー、あのさー、暗くて怖いから一緒にいてー」
「は?」
「せっかく停電したんだから、シチュエーションを楽しもうかとおもって」
「そんな可愛げのない図体して、なに言ってんの」
冷たい声が、一刀両断にする。
腕を掴んでいた指の力がゆるみ、離れていきそうになるのを慌てて両手で捕まえて、一歩傍へと踏み出す。
「可愛くない?じゃあ先生が言ってみて」
「俺が言ったからって、可愛くなるわけないでしよ」
振りほどこうとする腕を引き寄せて、もう一歩近づく。
「可愛いってばよ」
ピタリと寄り添って額を付き合わせて、ひんやりとした体温が伝わってくるのを感じながら、暗闇につつまれた至近距離の先生を見つめる。
「ねえ、言ってみて」
「断る」
むすっと不機嫌そうな声のまま、オレの腕から抜け出そうとして先生が身を捩る。
暗闇のなかでは灰色に見える、先生の柔らかな髪が鼻先を擽る。
「えー、んじゃあやっぱオレが言っとくってばよ」
笑いながら先生の耳元へ無理矢理に口を押しあてて、一語一語ゆっくりと囁く。
「一緒にいて」
ぐっと言葉に詰まった先生の耳朶あたりが瞬時に熱くなったのが唇に伝わって、胸の底までがジワリと痺れる。
背けようとする頬に擦り寄って、ガタンガタンと荒れる戸外の物音を忘れて、ぎゅっと固く引き結ばれてしまった唇が緩んで解けるよう、繰り返し吹き付ける風雨のように何度も何度も、暗闇のなかで愛しく啄ばんだ。
「出会えたのは緑」#1
(20130420)
→#2
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