君と誰かを繋ぐライン
「ええ、昨日の嵐で植木鉢が倒れて割れちゃって…ほんと、すごい風でしたよねーえ」
携帯電話を耳に軽く押し当てて、のんびりとカカシ先生が話している。
「うん、葉っぱがちょっとしんなりしちゃってます…うん、そう…土もほとんど溢れちゃって」
しゃがみ込んだ先生の足元には、広げた新聞紙の上に載せられた、まだ花も咲いていない紫陽花。
昨日の夕方から荒れた暴風雨のせいで、ベランダに出しっぱなしだった鉢が壊れてしまった。
無残に散らばった素焼きの破片は朝になってから二人で片付けたけれど、植え替えの仕方がよくわからないんだよねえと呟いた先生は、紫陽花を買ったという隣町の花屋にまで、いそいそ電話を掛けている。
なんだよ、それ。
目の前に植物のエキスパートがいるってのに、わざわざ花屋に訊くってどういうことだってばよ。
オレ、そんなに信用されてねえの?
むっつりしながら、電話中の先生のすぐ横にデッキチェアを広げて、どっかりと座りこんで読書する。
本のタイトルは『よくわかる園芸図鑑』だ。
イスのうえに片膝を立てて、先生から見える角度にわざわざ本の表紙を向けてみるけれど、先生はこっちを振り向きもしない。
パグの絵が描かれた黒いケースに入ったiPhoneを片手で支えて、ふんふんと頷きながら熱心に紫陽花の根を点検している。
嵐が去ってスッキリと晴れわたった陽光が、ベランダ用のサンダルを履いた先生の素足の爪先を明るく照らしている。
普段は日に当たらない足先は透き通るように白く、足の指までがまっすぐに長い。
あの足指を口に含んで甘噛みするとめっちゃ身悶えするんだよな先生は、と不埒な記憶をたどっていたら、まるで心を読んだかのように先生はふいと立ちあがってオレに背を向け、通話しながらベランダのガラス戸を開けて部屋に入って行ってしまう。
なんだ、バレたの?超能力者なのか!?とビックリして身体を起こしかけたら、先生はすぐに戻ってきた。
ペンとメモを取りに行っただけらしい。
中途半端な体勢のオレを不思議そうにチラリと見てから、また紫陽花の前にしゃがむ。
「はい、メモ持ってきましたので、お願いします…はい…カヌマツチ…」
先生は植え替えに必要なものの買い物リストを作るようだ。
でも、カヌマツチって、なんだってばよ?
植物エキスパートのはずなのに、いきなりわからない言葉が出てきた。
ちょっと待てってば、植え替えってそんなカマイタチみてえなもん要るか?
内心焦りながら首を伸ばして先生の手元のメモを覗いたら、ブルーのボールペンの細い筆跡で『鹿沼土』と書いてあった。
あ、それは見覚えある漢字だってば、ホームセンターとかによく売ってるやつだよオレんちにもあるってばよ、つかそれ「しかぬまど」って読むんじゃねえの、シカマルが沼にハマって土まみれって覚えてたってばよってまあいいや、オレ持ってる持ってる持ってきてやるってばよ!
オレの無言での身振り手振りアピールを、先生は軽く無視したままでメモを続ける。
「ピートモス…ええ、紫陽花は紫色で。はい、腐葉土、バーク堆肥……あ、声が聞こえる」
メモを取りながら、先生がふいに嬉しそうに言う。
え、なに、何の声?と耳を済ますけれど、声なんてべつに聞こえない。
マンションの8階のベランダにまで聞こえてくるのは、道路を走り抜けて行く車のエンジン音や、チチュンチチュンとどこかで囀っている鳥の声くらいだ。
「え、電話変わってくれるんですか?ありがとうございます」
目元を細めながら、携帯を押し当ててじっと耳を澄ましている先生に、ちょっとばかりじゃなく焦る。
なにそれ誰それウソどういうこと?
「もしもーし。ん?……ふふ、可愛い声だね……」
小首を傾げて甘く微笑む先生の姿に、我慢できなくなってガバッとデッキチェアから跳び起きて先生の携帯を奪う。
「もしもし!アンタ誰だってばよ?!」
「おい、ナルト!」
ムッと顔をしかめる先生から取り上げた電話に向かって叫んだら、アンッと甲高い鳴き声が返ってくる。
アンッ、アンアンッとさらに数回。
「…イヌ?」
「もー、返してヨ!」
不機嫌そうに手を伸ばした先生に携帯電話を取り返される寸前の耳のなかに、こらナルくん、あんまり大きな声で吠えちゃダメよ、と、朗らかに笑うおばちゃんの声が微かに聞こえた。
「出会えたのは緑」#2
(20130424)
→#3
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