不器用なりに誠実であったから


暴風で切れた電線を、修理してもらえるのは明後日になるということだった。
電気屋のオッチャンたちってばそれぐらいすぐ直してくれよ、と文句を言いたかったけれど、里のあちこちでも同じように断線してしまった箇所があるというのだから仕方ない。
どうせオレもカカシ先生も夜目が効くからたいして不自由はしないんだし。

そんなわけで電気の付かない浴室で月明かりだけを頼りにザッとシャワーを浴びて、パジャマがわりのTシャツと短パンに着替える。

ギシギシと軋む暗い廊下を通りぬけて寝室に入ったら、すでにパジャマ姿の先生は野営用のランプの灯りで本を読んでいた。
あまり広くはないベッドの片側に枕とクッションを積み上げたところへ片肘をついてページを捲っている姿は、まるで王様かなにかのようだ。
簡易玉座の反対側に座ろうとしたら、ランプの影になる、字が読めないと素っ気なく追い払われた。
オレより本が大切なの?!と大袈裟に悲鳴をあげてみたら、間髪入れずに「うん」という返事が返ってきたので、すごすご引き下がって先生の足元がわにドスっと腰をおろす。
ランプの灯りが照らしている表紙のタイトルは『食洗機を持たない御飯つくると、彼の家事労働の日々』だ。
ベストセラーだとかなんとかで近所の本屋では売り切れていたから、せっかく一緒の休日だというのにわざわざ足を伸ばして、火の国の大きな書店まで買いに行った本だ。

そういえば、その火乃国屋書店からの帰り道に、公園で犬を散歩していたおばちゃんに呼び止められた。
本を抱えてご機嫌だった先生は、さらに嬉しそうな顔をして、

「ナルくん!」

とその犬に駆け寄って行った。
アンアンと甲高い声で鳴く「ナルくん」とやらはミニチュアダックスフンドで、焦茶色の毛並みをしていた。
黒い瞳はドングリみたいなまん丸で、しかも足が超短い。

オレとは全然似ても似つかないヤツを、先生がナルくんとか呼ぶなんて!

ムカムカをおもい出しながら、目の前に投げたされた先生の長い足の片方に手を伸ばして、足裏をぎゅううっと押す。
土踏まずから親指の付け根へ、少しずつ移動させながら爪を立てないように圧をかける。
チラリとオレに視線を向けた先生は気持ち良さげに目を細めるけれど、そのまま何も言わずに本を読み続ける。
ジジッジジッとランプの芯がゆらゆら揺れながら燃えていく。
静かな夜更けだ。
時折古い家屋のどこかがパシッと鳴る。

「なあ、せんせ」
「んー?」

パラリとページを捲る音する。
先生の土踏まずは、滑らかでほんのりと温かい。

「あのさー、オレのこともさー……ナルくんって、呼んでみて?」
「やだねー」

本から目も上げないまま、あっさりと断わられる。

「えええええ!なんでアイツは良くてオレはダメなんだよ!オレのほうがアイツより足長いよ!」

つい大声をあげたら、先生が煩げに眉を顰める。

「あたりまえでしょ。ダックスフンドより足短かったら、忍具入れも付けられないじゃない」

呆れた様子でモソモソと癖毛頭を掻いた指先が、またページを捲る。

「オレのほうが役に立つってば。マッサージ上手いし!」
「んー、まあまあだな。次、反対側」

ちょいちょいと動かされた足指に指示されるまま、反対側の足裏を両手で掴む。

きゅうっ、きゅうっと少しずつ、力を加減して押していく。
綺麗な弓の形に窪んだ、土踏まず。

「ねえ、オレのほうが可愛いでしょ?」
「そんなデカイ図体してなに言ってんの、俺の身長抜かしたくせに」

ちょっと拗ねたような口調で先生が答える。
最近オレがとうとう先生の身長を追い抜いたのを、やけに根に持っているみたいだ。
腕の太さや体の厚みは、とっくに抜かしていたというのに。
もちろん身長も抜くのが目標で毎日欠かさず牛乳を飲んでいたんだから、これは努力の成果なんだってばよ。

「でも身長を追い越してもオレは可愛い元生徒じゃねえの?」

食い下がったら、先生が片眉だけをヒョイと上下した。
それ、イエスってこと?
それともノー?

「ねえ、ナルくんって呼んで。一回だけでいいからさあ」
「やだ」

頑固に断る先生に、こっちも意地になってくる。

「じゃあ、もうマッサージやめちまうぜ」

指圧していた片足を見せつけるようにちょっと掲げてみたら、本から目を上げた先生がオレをじっと見つめ返した、とおもったら、おもむろにガコッと蹴りを入れられた。

「痛っ」
「べつに無理にやってもらわなくていいよ。だいたいオマエなんで居るの?いい加減にもう自分のアパートに帰ったら?」
「先生ぇえええええー!!」

ウソですスミマセンごめんなさいってばよ、と足裏に頬ずりして謝ったら、先生が耐えかねたように噴き出した。

「…ったく、ダックスフンドと本気で張り合っててどうするのよ」
「だってさあー。先生がオレの名前をオレじゃないヤツにむかって言うのイヤなんだってば」
「おまえの名前は『ナルト』でしょ」
「でもナルくんだってオレだってばよ!」

はああ、と溜息をついた先生が、ぱたんと読んでいた本を閉じる。
あれ、とおもったら、そのままランプの灯をもフッと吹き消す。

「あの……せんせ……?」
「せっかく停電してるんだから、シチュエーションを楽しまないといけないんだった、よねえ」
「なにそれ、もしかして……お誘い?」
「ばーか」

暗闇のなかで簡易玉座のクッションと枕を退けた先生が、ぽんぽんと隣をたたく。

「おいで、『ナルくん』」

おそるおそる這い寄っていったら、おすわり、と言われた。
すこし狭い隣のスペースに無理やり割り込んで座り、ついでのように肩に手を回そうとしたら、おあずけ、との過酷な命令が下る。

「先生に飼われたら、一生オアズケ喰らいそうだってばよ」
「それもいいね」
「よくないってばよおおお!」

雄叫びをあげるオレの唇に、シーッと先生が人差し指を押し当てる。

「ほら、街灯も点いてないから、月がこんなに明るく見えるよ」

窓ガラス越しに差し込む月光が、青白くあたりを照らしている。
どこからともなく、ホウ、ホウとフクロウの鳴き声が聞こえてくる。

「ついこのあいだまで寒かったのに、もう季節は夏へ向けて進んでるんだねえ」

やわらかにざわめく木々の葉音とホホウ、ホホウ、と鳴き続けるフクロウの声で、部屋のなかが満ちていく。
窓辺に置かれた紫陽花の鉢が、黒いシルエットになって浮かびあがっている。

ぼんやりと窓の外を眺める色白い頬に手を伸ばしたら、今度はおあずけは喰らわなかった。

明日は任務だっけ、と訊かれた言葉に、わん、とだけ返事して口付ける。
なんかでっかいの飼っちゃった気分だなあと笑ってオレの首へ腕を回した先生が、まるで犬の頭を撫でるかのようにグッシャグッシャとオレの後頭部の髪を掻きまわして、ナルくんなんて可愛い名前のくせに、と可笑しそうに小さく呟いた。

「出会えたのは緑」#3
(20130503)

→#4




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