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[4]

― 森のなかのちいさな一軒屋で、仔ヤギのオレは兄弟たちと仲良く暮らしていた ―


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「あーあ、ちょっと目を離すとすぐこれだ…」

洗面所で口をすすぎ、ついでに顔も洗って戻ってくると、居間でナルトが眠っていた。
縁側の端に腰掛けたまま横に崩れ落ちたような体勢は、がっくりと首が曲がって辛そうにみえるのにもかかわらず、のんきに大口を開けたまま熟睡している。
限度いっぱいまで近づけた扇風機から送られる風が、短めに切られた髪をそよがせている。
ナルトの手元に開いたままになっている兵法書は八木山之戦のところで、つまり俺が部屋を出てから一ページも進んでいないということだ。

「ったく、しょうのないやつだな…」

呆れかえりながらナルトの隣に腰掛けて、くしゃくしゃになった金髪頭をもちあげ、よいしょと大腿のうえに乗せてみる。
いわゆる膝枕だ。
こんなことをしたらきっとすぐさま飛び起きていつものように大袈裟にギャアギャアわめくだろう、というちょっとした悪戯心だったのだけれど、俺に膝枕されてもナルトはまったく目覚める気配がない。
ちょっとモゾモゾと頭の位置を動かしただけで、何事もなかったかのようにすうすうと気持ちよさげに眠っている。

「おいおい…なんなのおまえは…」

大腿のうえでなんの危機感もなく眠り続けるナルトを呆然と見下ろす。
まさかこれで起きないなんてことがあるとはおもいもしなかったので、乗せてしまった頭をどうしていいのかわからない。
しかもよりによってこんなタイミングでいやな気配が近寄ってきた。
どう取り繕おうかと幾通りかの方法をおもいうかべて、しかし結局どれも却下して溜息だけつく。

「あら、仲良しさんなのね」

たのしそうな声とともに、塀の向こうで白い日傘が揺れる。


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― オレの兄弟は6人。
みんな真っ白でかわいい仔ヤギだ。
ゲームをしたり椅子の背にもたれかかったりジャレあったり菓子を食べたりと、部屋のあちらこちらでくつろいでいる。
オレもお気に入りのクッションを抱えてうつらうつらとしていたら、紅先生の声をした母さんヤギが言った。

「お買物にいってくるから、留守番しててね。オオカミが来るかもしれないから、母さん以外にはドアを開けちゃだめよ」
はいはーい、わかったってばよーとオレたちが口々に答えると、母さんヤギはドアにカギをかけて出かけていった。
古ぼけた扇風機から送られてくる風が心地いい。
オレはあくびをひとつして、気持ちのいいクッションに頬ずりしてまた目を閉じる ―


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「ちょっと、どっから入ってくるのよ」

ひょいと塀を飛び越えた紅は、黒いチェックのワンピースの裾をちらりとも乱すことなく着地して、涼しげに微笑む。
手には赤頭巾が持っていたような籐のカゴをさげている。
いや、赤頭巾というよりは、白雪姫に出てくる魔女のほうがお似合いか。

「今日はなんの用?」
「ご機嫌ナナメね。せっかく二人きりのところをお邪魔したから怒ってるの?」
「これは不可抗力…なんでこいつはこの状況で寝れるんだか俺にはわからないよ」
「そう?なかなか素敵な光景よ」

日傘を閉じて縁側に腰掛けた紅が、カゴの中からタッパーをふたつみっつ取り出す。
半透明の容器の中身は、煮物とかの類だろう。
蓋をしたままでも出汁と醤油のまざった匂いがわかる。

「はい、おすそわけ。栄養付けなきゃダメよ、妊婦さん」
「余計なお世話だよ。俺なんかよりじぶんのコドモの面倒見てればいいでしょ。どこに置いてきたのよ」
「いまはシカマルが相手してるわ」
「『里の頭脳』をベビーシッターにするとはね」
「ええ、アスマはいい子守を残してくれたわ」

イヤミにかけらも動じることのない紅の頭上で、チリリンと風鈴が鳴る。


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― チリリリンとドアベルが鳴って、ぼんやり目をあける。
玄関ドアの上に開いた小窓から、黒く毛むくじゃらの耳がのぞく。
オオカミだってばよ、と兄弟たちが騒ぎはじめる。

「お母さんだヨー、いれてちょうだい」

だけどそれは聞き覚えのある、ちょっと間延びしたやさしい声だった。
ああこれ、カカシ先生の声だ。

ドア開けてやれってばよー、と眠い目を擦りつつ言ったら、兄弟のひとりが玄関のカギを開ける。
とたんに大きな黒い影が疾風のように飛び込んできた。
隠れろってばよ、と誰かが叫び、オレはあわててすぐ横の振子時計のなかに身体を押し込む。
きゃーとかうわーとかいう兄弟たちの叫び声が、やがて途絶えて部屋はしんと静かになる ―


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「おまえは師弟のどちらもこき使うんだな」
「あなたは師と弟子のどちらにも素直になれないのよね」
「どーゆー意味だよ」
「あ、怒るってことは図星?」

紅が手を伸ばして、ナルトの読みかけの本を取る。
表紙を眺め、背表紙を眺め、それから中身をぱらりぱらりとめくる。

「兵法書ねえ…ナルトに理解できているのかしら?」
「理解してもらわなきゃ困るのヨ、いつまでもコドモじゃないんだから。最低限一通りくらいは読んでおいてもらわないと」
「読ませて、それからどうするの?」

赤い虹彩の瞳に視線を捕まえられて、つい眉を顰める。

「なによそれ」
「あなたには、もっとほかにナルトに教えることがあるんじゃない?」
「俺がなにを教えるってのよ。こいつもう二十一よ?こんな無駄にでっかくなって、術も勝手にどんどん増やして、馬鹿力でチャクラも有り余ってる。足りないのは脳味噌くらいでしょ」
「だから兵法書を読ませているの?これを読ませ終えたら、あなたは安心してこのコを残していけるってこと?」

イビキをかいて眠るナルトの鼻を、紅がひょいと抓む。
グガッ、と騒音が途切れて、ナルトの顔が苦しげに紅潮する。

「これでも起きないなんて、ほんとナルトって凄いわねえ」
「おまえはなにがいいたいのよ」
「あなたのするべき役目は、こんなことじゃないでしょう?もっとほかに、やるべきことがあるはずなのに」

ぱっと紅が手を離したとたんに、ンゴゴゴとまたのんきなイビキが再開する。

「ねえ、あなたの悪阻は、いつまで続くの?」

チリリンと、また風鈴が鳴る。


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― 身を潜めた振り子時計のなかは、ひどく狭くて暑かった。
心臓がバクバクいっている以外に、物音はなにひとつ聞こえてこない。
兄弟たちの無事をたしかめたいけれど、時計から出られない。
だんだん息が苦しくなってくる。
酸素が足りない。
ああもうだめだとおもった瞬間に、時計の扉が開く。
母さんヤギの紅先生がオレをじっと見つめ、あなたは無事だったのね、と呟く。

部屋のなかは椅子が倒れ、花瓶や皿の破片だとか切り裂かれたカーテンの布端が散乱していた。
ほかの兄弟の姿は見えない。

「オオカミが来たんだってばよ、それで…」
「まだそう遠くには行っていないんじゃないかしら。探しましょう」

キッパリと言い切った母さんヤギがドアベルをチリンと鳴らしながら出て行くのを、あわてて追いかける。
家の外では蝉がジイワジイワと唸るように鳴いている ―


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「最初の一、二週間は多少の拒絶反応があるかもしれないとはいわれていたみたいだけれど、もう三か月よ。そもそもあなたには免疫があるはずなのに」
「俺はちゃんと食ってるから大丈夫。必要なだけの栄養分は摂取してる。順調だって綱手さまも言ってただろ」
「順調みたいね。でもこんなに吐き続けていたら身体に負担が掛かるわ。手術にも支障がでる」

心のそこまで見透かすような、赤い両眼がひたりと見返す。

「あなたの悪阻が続くのは、免疫反応じゃなくて心因性でしょう?」
「……単なる夏バテだよ」

無理に視線をそらして、縁側のふちに並んだ朝顔の鉢を眺める。
萎れた花弁のばかりのなかに、かろうじてひとつふたつ未開花のつぼみがついている。


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― 森のまわりをあちらこちらと探して、ようやく池のほとりで昼寝するオオカミの姿を見つける。
母さんヤギはエプロンのポケットから大きなハサミを取り出して、眠り続けるオオカミの腹をジョキジョキと切る。
腹のなかには、仔猫が一匹眠っていた。
そうだオレの兄弟は影分身だから、喰われたら消えちまうんだったってばよ。

母さんヤギはオオカミの腹のなかから仔猫を取り出し、代わりに詰める石を拾ってくるようオレに言う。
でも池の周りにはちょうどいい大きさの石なんて落ちていない。
オオカミが起きる前にはやく、と母さんヤギが急かす。
仔猫は母さんヤギの腕の中でピクリとも動かない。
石は見つからない。

それに石なんか詰めたら、ほかになにも食えなくなっちまうじゃないか。
このオオカミはカカシ先生なのに。
石じゃ吐き出すこともできない。
はやく、と母さんヤギが急きたてる。
ちょっと、ちょっと待って、と焦る。
石の代わりに詰めるもの、ああそうだ… ―


+++


「カカシ先生の腹にはラーメン詰めればいいってばよ!」

じぶんの大声に目が覚める、その瞬間に頭が床に激突した。

「…っ、痛って…え…??」
「俺の腹にナニを詰めるって?」

不機嫌そうに腕組みをしたカカシ先生が、縁側に仁王立ちしてオレを見下ろす。
その隣では紅先生が笑い転げている。

「ラーメン、ふふっ、そうね、なにも胃に入ってないよりはマシかもしれないわね。ラーメンだけでもここまで立派に育ったコがいることだし」

頬杖をついた紅先生が、縁側に寝転んだままのオレの顔を覗き込む。
ふわりと百合の香が漂う。

「鉢植えのついでにこの頑固で後ろ向きな先生の世話もよろしくお願いね、ナルト」
「へ?」

すいと伸ばした手で、くしゃくしゃとオレの髪をなでた紅先生が立ちあがる。

「帰るわ」
「なに、紅先生いま来たばっかりじゃねえの?」
「ナルト、お昼寝枕の寝心地はよかった?」
「え?」
「はやく帰れよ…コドモ待ってんでしょ」

あら冷たいわねえ、と笑いながら紅先生がサンダルを脱ぐ。

「……ちょっと、帰るんじゃないの?」
「帰るわよー。塀を乗り越えると怒られるから、玄関からねー」

サンダルを手に縁側へあがりこんだ紅先生が、寝転んだままのオレの横をすり抜け、廊下を玄関へと歩き去っていく。
カカシ先生が腕組みをしたまま深々と溜息をつく。

赤くマニキュアが塗られた爪先が目の前を通り過ぎていくのを見送りながらオレは、そういえば母さんヤギの蹄の色も赤だっただろうかなんていうことを、ただぼんやりと考えていた。

(20100821)

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