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待つというのは、つらい。

枯れて支柱に絡みついた朝顔の蔓を、丁寧に引き剥がす。
ところどころに付いている球状の実はパチリと割って、なかに残った黒いちいさな種を取りだし小皿にいれておく。
古新聞を敷いて、植木鉢の土をあける。
枯れた根や小石を取り除いて、ふるいにかける。
さらさらになった土に養分を混ぜてベランダのまんなかあたりへ広げて置き、日光に晒す。

待つというのは、しんどい。

あれから何度かカカシ先生の家まで行った。
籐の椅子をギシリギシりと揺らしながら、空っぽのソファを眺めてぼんやり過ごした。
コチコチと秒針の音だけが響く部屋のなかは、まるで外界から切り離された時間が流れているようだった。
留まっていればいるほど先生のいない時間のほうに慣れてしまいそうで、やがて部屋にあがりこむのは止めにした。

待つというのは、淋しい。

年が明けても、なにも変わりはなかった。
任務もあいかわらずで、八百屋のオバちゃんランキングも三位のままだ。
いちど一楽のオヤジさんにカカシ先生を見かけないねと訊かれたから、長期任務なんじゃねえのと答えておいた。

カカシ先生がいなくても、日々はただあたりまえに過ぎていく。

しばらく降りつづいていた雪がようやくやんだころ、久しぶりに森のなかを抜けていったら先生の家が取り壊されていた。
老朽化していて危ないから撤去することになったのだと、瓦礫を片付けていたおっちゃんたちが教えてくれた。
鬱蒼と木々に囲まれたなかで、そこだけ不自然にぽっかりと空いてしまった家の跡地を呆然と眺めていたら、庭のあったあたりの一角に寄せ集められた植木鉢を見つけた。
先生の家の縁側に並んでいた朝顔だ。
五つあったその鉢を、あやういバランスで全部抱えあげ、じぶんの家へと持って帰った。
待つ、という言葉だけを、なんども頭のなかで繰りかえしながら。

待つというのは性に合わない。

空にした植木鉢をきれいに洗って、ベランダの隅に伏せる。
五つ並んだ素焼きの鉢底は、濡れてすこしだけ濃い色をしている。
一仕事終えて、冷えた指先をこすり合わせながら、首をゴキゴキならしておおきく伸びをする。

待つというのは、くるしい。
いつまで待てばいいのかわからないから、いらだつ。
待つのなんて、大嫌いだ。

だけど、いつまでだって待ってやるのだと決めてしまえば、待つことに、迷いは、ない。

薄青く広がる空を見あげて、深呼吸をひとつする。
それから陽だまりに腰をかけて、しおりを挟んだ本のページをひらいた。

(20101218)

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